■到着  


バスなら一日の距離なのに、ラパスから結局10日かけてウユニの町に到着した。

まずは、ラパスから一路チリ国境へ。
そこで迎えてくれたボリビア最高峰サハマ、富士山に似た火山パリナコタ、ポメラタ。
人生初めての塩湖走行となるコイパサ塩湖、そして、念願のウユニ走行。

途中、渡河やコルゲーション(洗濯板状の道)、深砂などに悩まされた。
道が正しいか分からず、ひたすらコンパスで進路を決めた。
不安でどうしょうも無い時に、1台の車が通りかかった時の喜びは今でも覚えている。

砂が深すぎて、目的地に到着できない事が2度もあった。
自転車で走り来てるのに、なんで押しているんだ?と考える時もあった。
しかし、なんとか走り続けた。

常に水は10Lをキャリーしていた。
村に到着すると村人は水を分けてくれた。
地下水の水も飲んだ。

ラパスからウユニまでの走行距離は500kmぐらい。
普通だったら5日間の工程。
ハードだけど内容の濃い10日だった。

それを乗り越えてウユニの町へ到着。
久しぶりにこんなたくさんの人々、車、店を見た。
ここでしばらく休養する。

そして、今後はボリビア南部のエドゥアルド・アバロア国立自然保護区へ挑戦。

【2005年10月 旅日記】


■横断完了  


走行距離約150km、2泊3日。
無事にウユニ塩湖を横断する事ができた。
この3日間はもう至福の時だった。

そして、コルチャニの手前に、ウユニ塩湖上のルートを示すサインがあった。
塩湖上には本当は道は無い。
ただ車の轍だけを追って走る。

真っ直ぐ西へ向かえばリカ、北西に向かえばタウア。
そして、南西へと向かえばボリビア南部のエドゥアルド・アバロア国立自然保護区へと導いてくれる。
何処をどう走ろうと、全て自分次第。

ウユニ塩湖上を走れるのは乾季の5月から12月まで。
5〜6月だと南部に水が残っている場合がある。
去年12月でも塩湖上には水がなかったと言われている。

雨季もいいけれど、やはり自転車で走るには乾季がオススメ。

【2005年10月 旅日記】


■最後  


太陽が完全に顔を出した。
それでもまだ寒いので、イヤーバンド、冬用グローブをして走り出す。
天気は雲一つ無い、青と白の2色の世界。

目の前には、既に東岸が迫っている。
西へ顔を向けると白銀の世界が広がっている。
ウユニの旅も今日で最後、もう思い残すことはない。

この旅に出る前からウユニ塩湖の存在は知っていた。
世界最大のウユニ塩湖。
その上を自転車で走る事が出来るという事も。

とあるライダーが言っていた。
「ウユニ塩湖を走れる事はライダー冥利に尽きるでしょう」と。
ライダーだけでなくで、自転車でもサイクリスト冥利に尽きる。

湖岸まで残り15km。
噛み締める様に走ろう。
本当に感謝。このウユニ塩湖を造り出した自然に。

【2005年10月 旅日記】


■朝陽  


夕陽も最高であれば、朝陽も最高だ。
この時期の日の出は、大体6時30分ぐらい。
日の出の15分前に起きて、外に出る。

起きると言うよりも寒くて目が覚めた。
テント内は氷点下8度なので、ペットボトルの水もカチカチに凍っている。
これでもまだ暖かい方だ。

しばらくすると、太陽が顔を出し始めた。
夕陽と同じように辺り一面をピンク色に染めていく。
陽が当たると、徐々に暖かくなっていき、まさに生命が息吹を吹き返すかのようだ。

外は寒すぎるので、テント内で写真を撮った、その一コマ。

【2005年10月 旅日記】


■夕陽その3  


太陽が沈んで30分。
西の空は、炎が燃えているかの如く真っ赤に染まっている。
東の空には、ポツポツと星が見え始めた。

そして、完全に太陽が沈んだ後は満天の星空に変わる。
まさに天然のプラネタリウムだ。
天の川も普通に見える。

その夜は一気に氷点下10度近くまで下がった。
6月の冬はもっと下がるという。
美しい風景の裏には厳しい環境がある。

これはどの国に行っても同じ事が言える。

【2005年10月 旅日記】


■夕陽その2


太陽が完全に西の空に沈んだ。

太陽が地平線へと沈んでも、まだ西は明るい。
東の空は赤から紺へと色を変えていく。
相棒を置いて、シルエットで写真を撮る。

見ていて飽きる事はない、この自然の創り出した美しさに。

【2005年10月 旅日記】


■夕陽その1  


チャリダー・アキが行ってしまったので、1人でテントを張る事に。

今日は雲が一つ無いピーカンの世界。
午前中は少し雲があったけれど、午後になったら驚くほど真っ青な空が広がった。
まさに自分が求めていた「青」だった。

そして、陽は徐々に西に傾いていく。
辺りは白み始め、塩湖上の白はピンクへと色を変えていき、その色は本当に美しい。
このように色を変えていく落日は今まで見た事が無い。

まさに人生のベスト・オブ・ベストだ。

【2005年10月 旅日記】


■テント再び  


ウユニ塩湖上でテント泊2日目。
今日は天気がよかったので、塩湖上でもう1泊する事にした。
なんて贅沢な事だ。

太陽が徐々に沈み、辺り一面がピンク色に染まる。
そして、太陽は水平線?地平線?に沈み始める。
その美しさ、神々しさは言葉にならないほど。

是非とも一見の価値あり。

【2005年10月 旅日記】


■穴  


ウユニ塩湖を走行中に驚きの事実が発覚した。

乾季のウユニ塩湖は水が干上がり、その上を走る事が出来る。
雨季は水が溜まり、その上を自転車では走るのは難しいが、車では走る事が出来る。
その時の風景は湖面に空が映し出され、あたかも空を飛んでいるかのように感じるとか。

そんな中、走っていたら幾つか穴があった。
なんの穴かな?と思い、止まってみてみると、なんと下に水が溜まっている。
「はて?なんだ・・・」と思いつつ、手を突っ込んでみる。

そしたら、なんと塩湖下には水がある。
わかり易く言うと、湖面に氷が張っている事と同じで、その氷が塩なだけ。
水を舐めてみると、当然ショッパイ。

もしこの塩が割れてしまったら、ポッチャンって落ちてしまうのかな?
てっきり下は塩だけしかないと思っていただけにかなり驚いた。
どういう仕組みで下に水が溜まるのかな・・・?

【2005年10月 旅日記】


■パン作り  


ウユニ塩湖上テント泊1日目の夕方、翌日の行動食である「パン」を作った。

このパンはオーストラリア、ニュージーランド、北米では、よく作って食べていた。
中米からは作るのが面倒になって、ビスケットなどを行動食としていた。
このパンは、オーストラリアを走っている時、地元の人に教わったモノ。

パンの名前は「ダンパ」と言い、オーストラリアの伝統的なホームメイド・パンらしい。
まずは小麦粉に膨らまし粉(ベーキングパウダー)と塩を混ぜて、水でこね、そして、弱火にかけるだけで、非常に簡単だ。
オーストラリア人はキャンプの時、これをよく食べる。

出来立てホヤホヤにバターをつけて食べるとかなり美味い。
オーストラリアやニュージーでは、小麦粉と膨らまし粉が既に混ざったものが売っているので非常に簡単。
カナダやUSAでは別々に売っていたので混ぜて作っていた。

自分は夕飯を作る前にこのパンを作り、翌日の走行中に食べる。
冷たくても食べれるのでOK。
普通のパンを買うよりも安上がりだったから常食としていた。

ただバターは暑いと溶けるので、M&Mなどのチョコと一緒に食べていた。
個人で作る時は、手鍋に直接パンの生地を置いてしまうと焦げてしまうので、アルミホイルを10枚ぐらい重ねて、鍋の底に敷く。
そして、薄く油をひいて、生地をのせて弱火で20〜30分ぐらい、一度ひっくり返して、更に5分ぐらい。

是非ともお試しあれ。

【2005年10月 旅日記】


■塩のホテル  


ウユニ塩湖東岸のコルチャリより12km。
塩湖の中に「塩のホテル」というモノがある。
その名前の通りホテルで、宿泊が出来る。

何が他のホテルと違うのかというと、すべてウユニ塩湖の塩でできている。
塩湖の塩を四角くブロック状に切り出して、それを組み上げて、造られている。
よくもまぁこんなモノを造ったもので、主にツアー連中が宿泊する宿として使われている。

一泊は値段は驚きの25ドル!!
そんなの払えるわけが無い!!
25ドル払って、ベッドに寝るくらいなら、タダで塩湖上にテントを張って寝た方がよっぽどいい。

現在、ここの塩のホテルで問題となっているのがし尿処理で、全て垂れ流しだとか。
理想は、貯まったし尿を塩湖外で廃棄するのがベストだけど、その分、費用が掛かる。
一応、自分は「小」はそのまましてしまうが、「大」は持ち帰る事にした。

一面真っ白な世界に、自分の排出した自分の茶色い分身は、嫌が上にも目立つ。
ポツンと寂しそうに取り残された自分の分身を置いて行くにはしのびない。
ビニールに包み、臭いがするのでジップロックに入れて持ち運んだ。

これほどまでに感動を与えてくれたウユニ塩湖。
少しでも汚れが無くなればと思い、分身を持つ運ぶ事にした。
いつまでも綺麗なウユニ塩湖でいて欲しい。

それにしても、自分の分身をビニール越しではあるが、生暖かいものを感じたのはちょっと複雑な気分だった・・・。

【2005年10月 旅日記】


■偶然  


インカワシでは店があったので、水2Lを購入した。

その値段は10ボリビアーノ(約130円)!!
普通だったら4ボリビアーノぐらいなのに、まぁ場所が場所だけにしょうがないか。
背に腹は変えられないので、一つだけ購入。

そして、出発。
今日はウユニの町までいけるだろうか?
しかし、天気も良いので、もしかしたら綺麗な夕陽が見れるかもしれない。

風は西からの追い風。
うーん、最高の風景を見ながらの追い風は、まさに自転車で旅している者にとって最高の時である。
平均時速20km/hでかっとんでいた。

そしたら、右前方に黒い点が見える。
白一色の世界に黒い点はかなり目立つ。
はて?なんだろうと思い、近づいてみるとなんと!クスコ、ラパスであったチャリダーアキではないか!

聞く所によると、自分が出発した次の日にラパスを出発したようだ。
チャラパタという町まで南下して、その後、厳しいダートを乗り越えて、ウユニ北岸から塩湖に突入したと言う。
そして、イスラ・デ・ペスカド、インカワシを回って、今日、ここにいるという。

うーむ、なんという偶然。

自転車でのペアランは、お互いのペースがあるのでそれぞに走った。
先に湖岸より12kmの塩のホテルに到着。
当然、宿で寝るよりはテントの中で寝た方がいいに決まっている。

30分ぐらいチャリダーアキを待つ。
塩のホテルより500mぐらい離れた場所に、風も強いので先にテントを張る事にした。
そして、少し待ったら、彼がやって来た。

手を振ったり、大声を出したりするが、どうも気づいてないようだ。
そのまま通り過ぎて、行ってしまった。
あらら・・・残念。

一体、彼は何処まで行くんだ?
まぁ明日はウユニの街へは到着できる。
恐らく再び会えるだろう。

【2005年10月 旅日記】


■テント泊  


念願のウユニ塩湖走行。
ウユニの横幅は約160kmあるので、一日で走り抜けるのは無理。
途中、塩湖上で1泊する事に。

塩湖走行と並んで楽しみに待っていたのが、塩湖上でのテント泊。

時計を見てみると、15時になった。
もう少し走ってもいいけれど、かなりイスラ・デ・ペスカドに近づいた。
あまり近い所にテントを張っても、ツアー連中に見られるのはあまり好まない。

「この距離だったら大丈夫だろう」と、そう考え、テントを張る事に。
ボコボコした場所は避けて、少しでも平らな場所を探す。
そして、荷物を降ろし、テントを張る。

運良く微風の南風。
友達が言うには、塩湖上は風が強いので、テントを張るのが大変だったと。
風の無いうちにテントを張る。

すべてが終わり、紅茶で一服。
360度の白銀の世界を見ながらのレモンティー。
うーん、最高。

そして、記念にウユニ塩湖の「塩」を持って帰る事にした。
湖面は硬いので、ペグを使って掘り起こす。
一生の記念になるだろう。

そして、夕暮れになったが、残念ながら雲が出ていて、夕陽は見れなかった。
「ウユニの夕陽は周囲をピンク色に染めていく」と形容される。
なんとも残念で仕方が無い。

しかし、念願のウユニ走行、そしてテント泊。
もう言うことは無い。
感無量です。

【2005年10月 旅日記】


■悲願達成  


結局、その日はトレス・クルセスの手前2kmで野宿。

翌日は7時に出発。
30分かけて押して、トレス・クルセスに到着。
ここには店があるので、水を買いに行ったらなんと売り切れ!

「マジ?????」

と、途方に暮れていたら、プラサに水汲み用のポンプがあると言う。
言ってみると村人がバケツを持って、水を汲み上げている。
いやはや、干からびると思った。

村人たちに混じって水を汲み上げる。
外国人が珍しいのか、たくさんの村人が自分の一挙手一投足をジーッと見つめている。
恥ずかしいやら、なんとやら・・・。

ここで10L満タンにしていざウユニ塩湖へ!
トレス・クルセスからガレガレの道を150m登って、鞍部に到着。
ここから緩いアップダウンを繰り返して、ウユニ塩湖へ向かう。

途中、ウィルキという村を通過。
ここにも人がいるので、水補給はできそう。
そして、道が開けて下りになった。

その先には、一面真っ白な大地が広がっているではないか!!。
もうテンションは最高潮で、そこから数km走ってウユニ塩湖に突入。
湖岸はコイパサ塩湖同様、土が混ざっていて綺麗ではないけれど、20kmも走れば360度の白一色。

すごい世界だ。
さすが世界一の大きさを誇るウユニ塩湖。
向こう岸が全く見えず、走れど走れど風景は変わらない。

だからって、退屈だなんて全く思わない。
もう至福の一言だった。
夢にまでに見たウユニ塩湖の走行。

一年待った甲斐があった。
ごたくは要らない。
もうそこには、言葉は要らなかった。

まずは、目指すのはイスラ・デ・ペスカド(魚の島)。
遥か彼方に薄っすらと浮かんでいる島を、ひたすら目指して走る。
一応、コンパスでも方角は確認する。

路面は少しガタガタするが、もう景色が偉大すぎてそんな事は感じない。
時々ツアー連中の4WDが走った轍がある。
その上を走ると舗装路の様に走れる。

昔、よく言われたのが「ボリビアの中で一番走りやすい道路はウユニ塩湖」と。
ボリビアは南米一最貧国で、昔は幹線道路も未舗装路だった。
だから乾季のウユニ塩湖は、どこの道よりも走りやすかったと言う。

その気持ちが今、改めて理解できた。
しかし、ツアー連中の轍の上を走ってはつまらない。
レールの上に乗った人生ではないけれど、やっぱりレールから外れて自分の力で走ってみないと!

この旅、最大のハイライト、ウユニ塩湖の走行を無事に成し遂げた。

人生で今日ほど幸せな日はなかった。
この風景を作り出した自然に感謝!!!
ありがとう!!!

【2005年10月 旅日記】


■超深砂  


無事にコイパサ塩湖も走り終わった。

とにかくセロ・グランデに向けて走った。
塩湖沿いの道は「インターサラール」という道で、少しは道路状況が良いと思ったら大間違い!
塩湖が終わってインターサラールまでは超深砂で、全く走れず、30分かけて2kmの距離を押した。

トレス・クルセスまでは残り10kmぐらい。
車の轍はあるけれど、もう砂浜みたい、いや、もう砂漠と同じか。
押しても引いてもびくともせず、左手でハンドル、右手でサドルを掴んで、引っ張りあげる。

かなりしんどく、100m引き上げれればいい方で、50m行っては休んで、50m行っては休んで連続。
何時になったらトレス・クルセスに到着するんだ?
標高3,700mでする行動じゃない。

日も傾き始めた。
南の方角を見るとなんだか怪しげな雲が漂っている。
「まさか雨・・・?」

ここで雨に降られたら砂だらけだ。
目の前に建物らしきものが見えてきた。
恐らく、トレス・クルセスの集落だろう。

依然と道路状況は、砂、砂、砂。
結局、トレス・クルセスまで、後2kmって所で力尽きた。
どうせ誰も来ないだろうと思って、もうその場でテントを張った。

運良く雨には降られなかった。
久々に80kmも走ってしまった。どうせ誰も来ないだろう。
明日はいよいよ念願のウユニ塩湖ぢゃ!!

【2005年10月 旅日記】


■食糧事情  


ボリビア第2の都市サンタ・クルスで「味噌」を入手する事ができた。

まずはニンニク、生姜、長ネギを買って来て、それを全て微塵切りにして、味噌に混ぜる。
この時、ホンダシも忘れずに入れて混ぜる。どうせ誰も来ないだろう。
こねる事数分で完成。

これをお湯に溶かせば、味噌汁になる。
熱々のご飯の上に乗せて食べても、かなり美味。
ニンニクが入っているのでパワーも付くし、生姜も入っているので温まる。

出来立てよりも、1週間ぐらい寝かせたモノがベスト。
入れた野菜に味噌の味が付いて、熟成されて更に美味くなる。
リマでも味噌を入手する事ができたので、同じモノを作って携帯していた。

この味噌、実は日本にいる時から作っていた。
遡る事数年前、とあるアウトドア雑誌にこの味噌が掲載されていた。
その内容はこうだった。

日本の偉大なる登山家・植村直己氏が極地へ行く時に味噌を必ず持参していていたという。

その名も「ウエムラ・ミソ」。

材料は赤味噌にホンダシを入れる。
野菜はニンニク、生姜、長ネギ、玉葱、人参、シソの葉、鷹の爪などなど。
全て微塵切りにして、味噌に混ぜる。

これをご飯に乗せて食べたり、お湯に溶かして味噌汁にしていたという。
日常生活ではこれだけでご飯を食べるのは侘しいけれど、旅をしている最中は、豪華な食卓になる事は言うまでも無い。
さすがは植村氏、全ての持ち物、考え方に無駄が無い。

25歳の時、年末年始に北海道の道冬ツーリングを計画し、この味噌を持参した。

氷点下15度、テントの中で食べたご飯と味噌の美味さは忘れられない。
少しばかり、氏はこんな感じで食べていたのかなぁと感じた。
このツーリングは、海外に出れると決心した旅だった。

この味噌を食べる度にあの時、決心した気持ちが甦って来る。
自分の人生に於いて、植村直己氏の考え方、生き様に幾度と無く助けられ、教えられている。
本当に感謝の一言である。

【2005年10月 旅日記】


■コイパサ塩湖  


ボリビア南部からチリ北部にかけて、大小様々な塩湖が存在する。

その中でも世界一大きい塩湖がウユニ塩湖。
その北に一回り小さい塩湖が存在する。
それが「コイパサ塩湖」だ。

なんでまたコイパサ塩湖に?と思われるかもしれないが、ただ単に、ウユニ塩湖を横断したいという考えがあった。
そうなるとウユニの西岸に到着しなければならない。
その道中にコイパサ塩湖も通るので、だったら乗りかかった船という事で、コイパサ塩湖縦断に挑戦する事になったのだ。

サバヤから未舗装路を再び走る。
この辺りの道はフラット・ダートで、道路状況は固く走りやすいが、時々ガレ場があるので、石コロに注意すれば問題無い。
しばらくすると、左手になんだか白いモノが広がっている。

まさか・・・と思いつつ走りると、なんとコイパサ塩湖が出現した。
初めての思ったことは、「本当に白いんだ・・・」という訳のわからない事。
塩なんだから白いのは当たり前だ!と思いつつ、ペダルをこぐ。

ビジャ・ビタリナという村に到着。
50人ぐらいの村なのに、しーんと静まり返っている。
まさかゴーストタウン?と思い、自転車を置いて、少し歩いてみた。

そしたら、庭で洗濯しているおばさんがいたので尋ねてみる。
みんな塩湖で働いていると言う。どうやら、採塩しているらしい。
だから人がいないようだ。

コイパサ塩湖を縦断して、その先にあるトレス・クルセスという村に行きたい旨を伝えて、道を教えてもらう。
塩湖上には道があるので、それに沿って行けとの事。
今は乾季(6月〜11月)なので、水が干上がって、車も走るという。

そして、いよいよ塩湖へ突入。
コイパサ塩湖の中央には島がある。
その島にはコイパサ村があるので、まずはその島を目指す。

湖岸は土が混ざっていてちょっと汚かったけれど、だんだん純白になってきた。
すごい世界だと思っているうちにコイパサ村に到着。
再び道を尋ねると、先ほどと同じ答えで、ひたすら南を目指せと。

コイパサ村を過ぎると、一面真っ白の世界になった。
曇っているけれど、太陽が反射してすごく眩しい。
しかし、これをサングラス越しで見るのはもったいないので、サングラスを外して見てみる。

対岸の岸まではどのくらいなんだろう?
地図上では、トレス・クルセスは2つのピークのあるセロ・グランデという山の麓にある。
ひたすら山を目指して走り続ける。

一応、車の轍があるので、これを追っていけば問題ないだろう。
路面状況は、少し凸凹だけど、今までの道が悪路だったので、それに比べればかなり走りやすい。
時速18km/hは出ている。

コイパサ塩湖よりも大きいウユニ塩湖はどんな世界だろう?
とにかく期待に胸が膨らんだ。
早く行きたい!!

【2005年10月 旅日記】


■サバヤ到着  


サハマから3日かけて、サバヤに到着。
ここは、この辺りでは一番大きな村。
久しぶりに車を見た。

サハマからの3日間で見た車は5台のみ。
ここも寂れた村だけど、宿もあるし、店もあり、レストランや薬局だってある。
自分にしてみれば十分だ。

街中の道は、当然、未舗装路だ。
舗装路はいつになるんだろう?
ここからオルーロという町に向かって道が伸びているので、数年後はここまで舗装路になっているのだろう。

久しぶりに、宿に入り、ゆっくりと休みたいが、シャワーは無い。
一応、水があるので水浴びをするが、ここも地下から汲み上げている水なので、かなり冷たい。
けど日中で太陽が出ていれば、そんなに寒くは無い。

さてこれからの準備。
これからコイパサ塩湖、ウユニ塩湖に行くので、店は無い。
最低4日分の食料を持っていかなければならない。

幸い、ラーメンは食べていないので、何も買わなくてもOKだ。
しかし、ラーメンは非常食として残しておきたい。
再びツナ缶3つ、卵12個、玉ねぎ500g、米500g、ビスケットなどを購入。

夕飯はレストランでボリビアの食事を食べた。
ラパスでは食べれなかったボリビア料理も、ここでは美味く感じる。
水はいつものように10L携帯し、再び自転車が重くなった。

いよいよ、コイパサ塩湖へ。

【2005年10月 旅日記】


■渡河  


マカヤを朝7時に出発。
標高3,700mだけど、既に春になっているので、そんなに寒くは無い。
自転車には適温だ。

昨日と同じようにコンパスを使い、周囲の地形を見ながら走っていた。
西と南は山々に囲まれているので南東に向かう。
地図でもコイパサ塩湖は南東にある。

出発して1時間。
なんと、目の間に川が現れた。
「マジ・・・?」

当然、橋は無い。
川幅は5mぐらいのが2つで、手で触ってみると、さすがに冷たい。
上流や下流へ行って、浅い場所を探しても無い。

靴のまま入るか?それともサンダルに履き替えるか?
靴を濡らしてしまったら、乾くのに最低2日はかかる。
濡れたまま夜になれば、凍ってしまうのは確実なので、サンダルで行くしかない。

サンダルに履き替え、ズボンの裾をまくる。
自転車を押して、そのまま突っ込んでもいいけれど、意外にも流れが速いので、倒れてしまったらシャレにならない。
まずはフロント・サイドバッグとフロント・バッグを担いで入水。

深さは膝下ぐらいで、身を切るように冷たい。
なんとか向こう岸に渡ったけれど、足が冷たさで痺れてしまった。
風も少し吹いていて、風が当たると更に冷たい。

しばらく立てなかった。
叩いて感覚を呼び戻す。
また戻って、今度は自転車本体を運ばなければいけない。

我慢して再び入水。
自転車の所に戻らなければならない。
向こう岸に到着するが、またしてもしばらく立てない。

やっと感覚が戻ってきた。
気合を入れて、再び自転車を押しながら渡河。
なんとか無事に自転車を含めて渡り終えた。

タオルですぐに拭いて、靴下を履く。
これが昼過ぎぐらいだったから、まだ良かったけど、まだ朝8時は水温も低い。
オーストラリアでは暑かったので、ジャブジャブ入っていたけど、さすがにここは厳しい。

なかなかしんどい旅になりそうだ。

【2005年10月 旅日記】


■ホットシャワー  


マカヤに到着。
人口70人の小さな村。
小さな村だけど、店もあって、米やパン、ビスケット、ツナ缶、水も入手可能。

このような小さな村にも関わらず、アドベ(日干しレンガ)で造られた教会があった。
この辺りは、このような小さな村しか点在しないが、どの村に行っても必ず教会はあった。
カトリック教徒が多い南米ならではだ。

そして、驚くべき事があった。
村に到着して、この辺りでテントを張れる場所があるか尋ねると、アルカルディア(市庁舎)の中で寝てもいいとの事。
市庁舎と言っても、アドベで造ったただの建物だけど、西風が凌げるのでうれしい限り。

そして、村人は言う。
「アイ・ドゥチャ・カリエンテ」と。
なんとホットシャワーがあるって。

公共トイレに行ってみると、地下から汲み上げた水をソーラーパワーでお湯にしている。
その水も綺麗で、そのまま飲用できると言う。
ただ驚きで呆然としていた。

村全体としては寂れているのに、この公衆トイレだけは近代的だった。

【2005年10月 旅日記】


■深砂  


マカヤを目指す途中の道。
1.9インチのタイヤがほぼ砂に埋まってしまった。
こうなると当然、走ることができなくなり、ひたすら押すしかない。

ここまで砂が深いと、押しても前輪は回らないので、左手でハンドルを掴み、右手でサドルを掴み、引き上げる。
感じとしては、運んでいるといった感じ。
深砂の部分が距離にして100mぐらいしかなかったので助かった。

これが長く続くともうシャレにならない。

【2005年10月 旅日記】


■未補走路  


いよいよウユニ塩湖を目指して南下開始。
ウユニ塩湖までは、約200kmの距離だ。
このルートは、町は無く村のみで、まぁ人が住んでいるのだから水はあるはずだ。

食料は米1kg、インスタントラーメン10個、パン用の小麦粉1kg、卵12個、ビスケット1kg、その他行動食多数。
水は10Lを持っての挑戦だ。
重量的にはかなり重くなった。

サハマと別れ告げて、南下。
一路マカヤという村を目指す。
道は砂利がほとんどで、交通量は全く無い。

道路状況は時々深砂、コルゲーション(洗濯板状)がある。
分岐があったら、コンパスを便りに方角を決める。
なかなか原始的で良いかもしれない。

久しぶりの未補走路だ。
大変だけど、未補走路を走っているとその道やその国と一帯になった感覚がする。
走っている最中は正直、もう未補走路なんか嫌だっ!って思うのに。

しかし、終わってしまうと何故かまた行きたくなってしまう。

【2005年10月 旅日記】


■アンデス再び  


ボリビア最高峰サハマの東に2つの山がある。

右がパリナコタ(6,330m)、左がポメラタ(6,222m)。
共に容姿は富士山に似た円錐形。
サハマも円錐形をしているし、この辺りにはこういう火山が多いのだろうか?

その容姿は、ため息が出てしまうほど奇麗だ。
何故ゆえに、この位置に、何故ゆえにこの形に?
自然とは本当にすごい。

ラ・パスからダイレクトにウユニの街に行った方が早いから、あまりこのルートを走る人は少ない。
しかし、美しい山々を見たければ、来る価値はある。
アンデスにドップリと浸りたい方はオススメ。

さて、ここからコイパサ塩湖、ウユニ塩湖までは、かなりしんどい未補走路の開始だ。
何故か奇麗な景色がある場所は、アプローチが大変だ。
どの国でもそうだ。


【2005年10月 旅日記】


■いよいよ  


温泉にも入ったし、もうラ・パス周辺では遣り残した事は無い。

谷口さんと別れて、一路パタカマヤという村を目指す。
ここから南下すると、オルーロという街を経由してウユニへ行き、西方面はチリへと向かう。
ここで自分は西へ向かう事に。

理由はチリとの国境付近は雪山が、たくさんあって景色が奇麗で有名。
ボリビア側はサハマ国立公園、チリ側はラウカ国立公園に指定されている。
アンデスの山々を眺める事が出来るルートだ。

サハマは、言わずと知れたボリビア最高峰だ。
その近くに富士山に似た円錐形の山が並んでいる。
それを見るために行く事にした。

そこから、チリに入国せずに国境付近を南下して、ウユニ塩湖の北にあるコイパサ塩湖を目指す。
そして、ウユニ塩湖の西岸に出て、贅沢にもウユニを横断してしまおうという計画である。
ダブル塩湖を走破してしまおうと言う狙いだ。

パタカマヤから走る事、約180km、サハマ国立公園に入る。
目の前にはサハマが聳えている。
自転車で走りながら、雪山を見るという事は、この上ない至福だ。

【2005年10月 旅日記】


■挑戦  


温泉に入って、気持ちがよくなった。
キャンプ・サイトから少し登った所に源泉がある。
そこの源泉に卵を入れて、温泉卵を作る事にした。

風呂に入る前に入れておいたけれど、話が弾んでしまい、卵の事はすっかり忘れてしまった。
見た目はOKだけど、夕飯の時に食べてみた。
しかし、時間が経ちすぎた事もあって、黄味が固くなってしまった。

翌日、再度挑戦するも、今度は忘れずに1時間ぐらいで引き上げた。
なかなかいい案配で温泉卵になっていた。
ダシはなかったけど、塩をかけて食べた。美味い。

いずれにせよ、自然の中で食べるという事は何でも美味いモノだ。

【2005年10月 旅日記】


■温泉  


無事にラパスを脱出。
標高差400mもなんとか走り抜けた。
自分が出発した後に、ライダーの谷口さんもバイクで出発。

そして、一緒に「ウルミリ」という温泉に行く事に。
ラパスから約70km走って、トラルと言う小さな村に到着。
ここからウルミリまでは、アンデスを越えていかなければならない。

自転車だと時間がかかるので、この村の宿に自転車や不必要な荷物を置いて、谷口さんのバイクで2人乗りをして行く事にした。
未補走路を走る事、約1時間ぐらいだけど、バイクの後に乗る事は、滅多に無いのでちょっと恐い。
しかも断崖絶壁の九十九折れを降りていくので更に恐い。

ウルミリに到着し、客は現地人ばかりで観光客はいない。
ここの標高3,500mで、湯気がもうもうと湧き出していて、テンションは高まる。
宿もあるけれど高いので、テントを張る事に。

入浴代は20ボリビアーノ。
少々高いけれど、温泉に入れるという事であれば惜しまない。
小さな滝があり、その上からお湯が流れていて、深さは50cmぐらい。

ゆっくりと浸かる。

「・・・」

言葉が出ない。
やっぱり温泉はいい。
なんで海外には風呂に入るという文化がないのだろうか?

シャワーなんてつまらない。
やっぱり湯船に浸かりたい。
ビールを飲みながらの露天風呂はもう至福だ。

湯温もちょうどいい。
浸かって、外に出て、浸かって、外に出るの繰り返し。
とにかく最高の一言。

【2005年10月 旅日記】


■脱出  


いよいよラ・パスを出発。
天候待ちや体調不良などで、結局1ヶ月近く滞在してしまった。
移住地に行ったのも含めて。

ラ・パスでは、ペルーのクスコで会ったサイクリストと再会。
チャリダーアキと阿部雅龍クン。
アキの方は、体調不良という事でまだ出発せず。雅龍クンと一緒に出発。

ラ・パスを脱出するためには、エル・アルトまでの標高400mを上がらなければならない。
久しぶりなので大丈夫かな?
不安はよぎるけれどまぁなんとかなるでしょう。

この先、彼らとはまた何処かで会いそうな気がする。

【2005年10月 旅日記】


■ライダー  


オキナワ移住地に行ってきた。
以前、5ヶ月ほど働いていたので、顔を出しに行った。
みんな、覚えていてくれて、うれしい限りだ。

移住地に行く途中にボリビア第2の都市サンタ・クルスを経由する。
そこでライダーの谷口さんに出会った。
彼とは2004年5月にパナマの首都パナマシティで初めて出会った。

彼はカナダのバンクーバーに入り、カルガリーでバイクを購入し、アメリカ合衆国、メキシコ、そして中米を縦断。
これから南米に渡るという事で、同じ飛行機でコロンビアに向かった。
自分はカルタヘナで降り、彼は首都ボゴタまで飛び、そこからのルートは、ほぼ同じ。

自分はペルーでトラブルに会い、バスでラ・パスへ移動。
彼もボリビアでバイクが故障し、サンタ・クルスで修理するハメに。
バイクを預けて、バスでラ・パスに来て、そして、再会。

その後、自分はオキナワ移住地でアルバイト開始。
彼は復活した相棒バイクと旅を再開。
そして、ここサンタ・クルスで約1年振りの再会。

とにかくバイクと釣りと酒には目が無い。
東にダートがあればバイクで行き、西に湖があれば釣り糸を垂れる。
そして、太陽が沈み、夜になれば、必ず安いロン(ラム酒)で晩酌をする。

値段は大体1本100円ぐらいと安上がり。
けど、毎日飲むから、彼のバイク同様、燃費は悪そう。
今後はボリビア南部を走り、サンタ・クルスでバイクを売って、バックパッカーかサイクリストに転向する予定。

誰か、バイク、買ってあげて。

【2005年10月 旅日記】


■似ているようで同じ?  


ラ・パスには、日本食レストランがある。
「ふるさと」「わがまま」「ニュー東京」の3つ。
ヒイコラ言って走って、都市に到着して、一番の楽しみは「食」だ。

残念ながら、ラ・パスの食事はあまりおいしくない。
だからどうしても日本食に行ってしまう。
どの店も高級住宅地に位置していて、客層も富裕層ばかりだ。

値段は大体20〜70ボリビアーノ(約250円〜900円)。
メルカド(市場)に行けば、一食5ボリビアーノ(60円)で食べれるのだから、いかに日本食が高いがわかる。
しかし、久しぶりの日本食となると、金に糸目はつけない。

「ふるさと」はラ・パスのセントロが乗合バスで30分ぐらい。
「わがまま」は10分ぐらいの距離だ。
質、味は「ふるさと」がピカイチ。

ふるさとに行って「イクラ丼」を頼んだ。
実はこれ、イクラではなくて、トルーチャ(鱒)の卵を使っている。
しかし、味はどうみてもイクラで、何も言われなければわからない程。

イクラ丼はメニューには掲載されていない。
なぜなら日本人以外、食べる人がいないからだ。
恐らく欧米人でも食べられる人が少なく、皆、なんで「そんなもの」を食べるの?と思っているだろう。

アラスカやカナダでも、サーモンの肉は食べるけれど、卵(イクラ)は捨ててしまう人が殆どだと言う。
日本人にしてみればなんとももったいない。
喜んで頂きますってな感じだ。

気になる値段は、なんと驚きの大盛りで40ボリビアーノ(約500円)!!
普通盛りで30ボリビアーノ(約380円)だ。
とにかく安く、しかも量はかなり多い。

大盛りを食べるといつも最後の方は「イクラ、ちょっと多すぎ」って感じてしまうくらい。
そんな風に食べれるのは海外ならではだ。
ラ・パスにお越しの際は、オススメ。

【2005年10月 旅日記】