■バカ犬  


ペルーで自転車を走る場合、まずに考え付く問題が「犬」。

ペルーでは、殆どの犬が放し飼いにされている。
だから、自転車で道路を走っていると、必ずといって言いほど追いかけてくる。
犬のテリトリーを抜け出せば、追いかけてくる事は無いが、噛まれる事を考えると危険だ。

「ペルーのバカ犬」は、サイクリストの間ではかなり有名だ。

この日もいつものように走っていた。
緩いアップダウン、南からの向かいで、良い事無しだった。
そして、更に駄目押しをするかのように、2匹の犬が追いかけてきた。

飼い主は居ないようで、執拗に追いかけて来る。
石を投げる真似をしてもひるまない。
こちらはスピードが遅いので、バッグに噛み付こうとする。

2匹の犬は茶色と黒色だった。
茶色の犬は、自分の前や横に来て、しきりに噛み付こうとする。
一度頭に蹴りを入れたら、更に逆上して吠えてきた。

黒い犬は、ただ吠えながら追いかけているだけ。
こいつは大丈夫だと思って、茶色のしか相手にしていなかった。
そして、何気なく黒い犬をよく見てみた。

なんと!!!
涎をダラダラ垂らしながら、吠えているではないか。
やばいっ!まさか・・・狂犬病にかかっているかもしれない。

狂犬病にかかった犬は涎をたらしながら吠えまくる。
その犬に噛まれて、狂犬病が発病したら100%助からない。
さすがにこの時は緊張した。

すれ違うトラックなども素通り。
中には、犬に追いかけられているのを見て、笑っているドライバーもいる。
薄情な奴等め・・・。

自分は狂犬病の予防注射を受けていない。
狂犬病の予防接種は、事前に受けていても、噛み付かれた後も再度接種しないといけない。
値段も高いので、自分は受けなかった。

何km追いかけられただろうか?
ようやく犬たちは戻っていった。
おかげで距離が伸びていた。

いやー、危なかった。
今後、同じような事があったらヤバイので、対応策を考えてみた。
今の対策としては、町の自動車工場で手に入れた鉄の細いパイプを自転車に取り付けて、追いかけて来たらこれで叩き付ける。

どんな感じで痛がるんだろう?

【2005年08月 旅日記】


■休憩  


ナスカから休憩を2日入れて、合計11日でクスコに到着した。
いやー、本当に楽しかった。
アンデス最高!

ここクスコには「ペンション八幡」という日本人宿がある。
この宿は2001年にオープンし、オーナーの八幡さんは、昔、自転車で10年間かけて100カ国以上の世界を旅した人である。
自分から見れば、大先輩にあたる訳だ。

だから、おのずと自転車で旅している人は、この宿を目当てにやってくる。
当時の自転車は、まだまだ健在で八幡さんの足として活躍している。
その自転車を見せてもらった。

マニア垂涎モノの自転車で、タイプはランドナー。
フレーム以外はさすがに交換していると言う。
八幡さんも気さくな人で、色々な相談に乗ってくれ、宿自体も居心地が良く、かなり良い感じである。

さて、クスコと言えばインカ帝国の首都。
その中でも遺跡の「マチュ・ピチュ」は、南米最大の観光地として知られている。
しかし、遺跡の興味の無い人間としては、全く行く価値の無い場所である。

中南米には、遺跡は数多く存在している。
マヤ、アステカ、ナスカ、そして、インカなどなど。
もう、既にメキシコのチチェン、ティオティワカン、グアテマラのティカルなどを見てきたので、もう遺跡は十分だった。

宿に滞在している人は、当然ながらマチュ・ピチュに行く。
そればかりか、日本からわざわざ休暇を取ってまで、マチュ・ピチュを見に来る人もいる。
たかだか石コロにウン十万円かけてやって来るなんて、ご苦労様と言いたい。

他の人には「なんのためにクスコに来たの?」と何度も質問された。
自分は「ナスカからクスコまでのアンデス越えをするために来た」と答える。
やっぱり、自転車で旅しているからには、ここを越えないと意味が無い。

それはそうと、自分がクスコの滞在中に自転車で旅してる人が6人も集まった。
今までの経験では、オーストラリアのアデレードで自分を含めて3人が最高だった。
どいつもこいつもクセのある連中ばかりで、彼らを紹介していくことにする。

けど、お陰でいい思い出ができた。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第11日目】  


さすがに昨日は、疲れたのかよく眠れた。

教室の中は、コンクリートなのでよく冷える。
トイレは、グラウンドの向こうにあるので歩いていく。
グラウンドには霜が降りていて、サンダルだったので少し濡れてしまった。

管理人にお礼を言って出発。
道は緩い九十九折れで、ここが標高3,200m。
峠の標高は3,500mぐらいだと思うので、残り300mのアップだ。

30分ぐらい走っただろうか。
後を振り向くと、綺麗なピラミッド型をした雪山が聳えているではないか!
すごい綺麗で、すかさず地図を見てみる。

どうやら、コルディエラ・ビルカバンバの盟主サルカンタイ(標高6,271m)のようだ。
見えているのは南壁だろうか、かなりの絶壁に見える。
しばし、我を忘れて、見とれてしまった。

サルカンタイを眺めながらの走行は、至福そのものだった。
大好きな相棒と大好きな雪山を眺めながら。
もう幸せすぎて、罰があたってしまうくらいだ。

そして、標高3,500mの峠をクリアしても、未だサルカンタイが目に入ってくる。
しかし、峠を下ると、徐々にその雄姿は遠ざかっていってしまった。
最後の最後で、アンデスから大きなプレゼントをもらった感じだ。

峠からは200mほど下って、道がほどよく平らになった。
これまで、ひたすら下りか上りの連続だったので、足がかなり鍛えられている。
お陰でガンガン進む事が出来た。

周囲は、のどかな田園地帯で心が和む。
思わず、実家を思い出してしまった。
今頃、日本はどんな風に変わっているのかな?

なんて事を考えつつ、どんどん進む。
クスコは残り25kmを切った所で一休み。
確かクスコの手前で、再度上り返すという事を聞いていたけど、どのくらい登るんだろう?

再度出発して、緩い坂を上り、標高3,400mになった。
クスコへ向かう最後の集落では、残念ながらゴミだらけだった。
一歩外に出てみれば、ペルー特有のゴミだらけの道が続く。

そんなゴミの中を、結局標高3,500mまであがった。
さっきの峠を同じ標高ではないか!!
流石にアンデス、最後の最後まで気は抜けない。

峠から少し下ると、クスコの街並みが見えた。
周囲は山に囲まれ、全ての家の屋根は茶色のレンガで造られている。
街の中央にカテドラルが聳えているのが、ここからでもよく見える。

インカ帝国の首都クスコに、ついに到着した。
それと同時にナスカ−クスコのアンデス越え制覇!!
狂気しながら、クスコへのダウンヒルが始まったのは言うまでもない。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第10日目】  


昨日は眠れた。

天気は良いけれど、快晴とは言いがたい。
気温もそれほど下がっておらず、寒くは無い。
しかし、ここからは下りが続くので防寒は必須だ。

道は継ぎ接ぎだらけで悪く、再び九十九折れの道を下る。
急峻な渓谷に造られた道なので、かなり危険で、ハンドル操作を誤れば奈落の底だ。
ぐんぐん下る。

途中、工事中の箇所があり、道がガタガタだ。
しかも、浅かったからよかったものの、河渡りもあった。
クスコへの輸送トラックが多いから、舗装してもすぐに駄目になってしまうのだろう。

結局、標高1,750mまで下り、最低地点にはアプリマック河が滔々と流れている。
ここから再び登りが始まり、今の所ナスカからここまで平らな部分は全く無い。
常に登っているか、下っているかで、昨日の峠からここの河までは標高差約2,300mのダウンヒルだった。

標高がかなり下がっているから、サンド・フライのお出ましだ。
休んでいると容赦無くたかってくるので、うざったくてしょうがない。
以前にやられた箇所もまだ痒い。

橋を渡って、しばらく緩い傾斜の道が続いた。
このまま行くのか?と思いつつ、ペダリングを続けていると、目の前には、かなりきつい傾斜の坂が現れた。
暑さも手伝って、かなりしんどい。

1時間30分で休憩。
稼いだ高度は550mで、かなり傾斜がきつい事を示している。
今までは、1時間半で稼ぐ標高は400mぐらいだったのに。

日陰を探して休む。
これが日向だと、かなり体力が消耗してしまう。
暑い時の日蔭は、まるでオアシスだ。

再出発し、標高2,500mのリマタンボを通過。
郊外に出て、しばらくは緩い坂が続いたが、再び急登が始まり、我慢の走りが続く。
追い越すトラックも、かなり遅いスピードだ。

上を見上げると、これから越える山が聳えている。
上を見てしまうと、やる気がなくなるので、周りの景色を楽しみながら走る。
まぁ、しんどいので景色を楽しむ余裕などは無かったけど。

4時間30分走って、標高3,100mまで登る。
アプリマック川からかなりの標高を稼ぎ、3時間で1,300m登ったのは過去最高だ。
この辺りから、やっと緩い九十九折れに変わり、一安心。

幾つかの集落を通過。
その村は、アバンカイの様に山肌にくっつく様に建てられている。
家を造るのも大変だろう。

そして、店があったので休憩。
時間は既に3時を過ぎている。
さすがに疲れが出てきた。

店の人に、この辺りでテントを張れる場所があるか尋ねてみた。
そしたら「学校があるので、そこで張りな」と言ってくれる。
更に、店の人が管理人に頼んでくれると言う。

一緒に行ってみると、8月14日までペルーの学校は冬休みなので生徒はいないとの事。
嬉しい事に管理人の人が教室で寝ていいと言ってくれた。
お陰でテントを張らなくて済んだ。

教室の中にテント・マットを引いて、その上にマットレスを引く。
夕飯は、ツナ玉ねぎ卵とじ丼を作って食べる。
昼食を食べていないので、あっという間に2合を食べてしまった。

さて、明日はいよいよクスコへ入る。
長かったアンデス越えも最終日だ。
どんな坂が待っているのかな?
【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第9日目】  


6時30分に起床。
夜にシャワーを浴びたので、寝癖がすごい。
頭を洗って出発。

気温は10度なので、自転車には適温だ。
が、クスコへ行く道に合流するには、急坂を登らないとダメで、これまたすごい坂。
ジグザグに走ってようやく合流でき、これだけで、かなり疲れた。

天気は晴れているが、今日も靄がかかっている。
それに、これから越える峠の方に怪しい雲が立ち込めている。
今は一応乾期なので、雨は降らないだろう。

アバンカイが標高2,400mで、再び九十九折れの坂道をえっちらおっちら登っていく。
初めの約10qは急登だったけど、それ以降は緩い坂道。
走っている途中、追い越したトラックが止まった。

運転手が降りてきて、峠まで乗せていってくれると言うが、丁重にお断りした。
峠越えは、自分の力で越えてこそおもしろい。
乗せていってもらっては、楽しみが全くない。

再び走り始める。
ここ数日、爆睡できないので、なんだか眠くなってきた。
走行に支障が出てしまっては、いただけない。

2度目の休憩の時、背後に雪を纏った山が見えた。
どうやら死角になって見えなかったようだ。
恐らくコルディエラ・ビルカバンバだろう。

再び走り始めて、すぐに標高約4,000mの峠に無事到着。
またしても、自分の力で越える事ができた。
この瞬間が峠越えの醍醐味だ。

ここからアンデスの眺めが綺麗との情報だったけど、雲がかかっていて見えなかった。
雲の隙間から見え隠れする雪山から察すると、かなりの綺麗な山脈のようだ。
しかし、南方面には雪こそはないが、雄大なアンデスが連なっていて、アンデスは「大きさ」を感じさせられる。

ここから、一気にダウンヒルだが、道が多少悪くなった。
九十九折れをグングン下がり、集落が現れて、犬が飛び出してきた。
危なく突っ込みそうになった。

ペルーの犬は、何故か車にも吠え掛かり、追っかけてタイヤに噛み付こうとする。
だから、路上には、犬の死体が転がっている事が多い。
まさに「バカ」と呼ぶのにふさわしい。

深い渓谷に向かって道が伸びている。
どこまで標高を下げるんだろうか。
また、この後に峠越えがあるので、できればあまり下がらないで欲しいものだ。

標高3,000mを切った。
緩い下り坂になり始め、それと同時にだんだん暑くなってきた。
上着を脱いで走る。

標高2,700mまで下った所に村があった。
情報では、宿は無いとの事だけど、意外に大きい村だった。
尋ねると、宿もレストランもメルカド(市場)もある。

村の名前はシクアニ。
予定では、次の峠の手前まで下ってしまおうかと思ったが、ここで休む事にした。
そんなに急ぐ旅でもないし。

宿はなんと6ソル(約200円)!!
今までで一番安い。
まぁ当然設備はちゃちくて、水シャワーは当たり前だ。

昼飯を食べに外へ出る。
レストランは数件あるけれど、どこもアルムエルソ(昼飯)が無い。
時計を見ると、既に3時になっているので、無いのも当たり前か。

探していたら、やっと1件食べられるレストランがあった。
食事も食べ終わり、路上の店でコーラを買う。
休んでいたら、隣にいた親父が話しかけてきた。

お約束の「何処から来た?何処へ行くんだ?」と。
いつものように回答し、会話が始まった。
これが旅の楽しみだ。

アンデス地方の先住民は、スペイン語の他にケチュア語を話す。
先住民でもなくても、ケチュア語を話せる人もいる。
「ケチュア語も話せればな」と思い、色々と聞いてみるが、さすがに難しい。

「日本では、給料がいいんだろう?」「日本人は金持ちだ」と言われる。
さすがにこういう解釈されていると嫌なので、きちんと教える。
そうすると、意外そうな顔をするけれど、納得してくれた。

約1時間ぐらい話をして、その後は宿に戻って、明日の準備をする。
明日は標高3,500mの峠越えがあり、文字通り峠三昧だ。
明後日には、クスコに到着することができる。

同時にペルーのアンデス越えが終わる事も意味をする。
嬉しい様な寂しい様な。
しかし、まだまだボリビア、チリ、アルゼンチンにもアンデス越えがある。

まだまだアンデスが終わった訳ではない。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第8日目】  


結局、今日は休みにした。
それに、また眠れなかった。
うーむ、熟睡をしたい。

8時に起床。
眠れなかったので、かなり早起きだ。
天気はなんだか空に靄がかかっていて、期待した青空はなかった。

ここアバンカイはアプリマック州の州都。
だから、たくさん店もある。
その前はアヤクチョ州だった。

2.5ソル(約70円)の朝食を食べたけど量が少ない。
自転車で走りはじめたから、確実に食が増えた。
以前は米2合なんて食べられなかったのに。

今日は休憩という事なので、特に何もする事も無い。
食糧も昨日すでに購入してしまった。
ゆっくりする事に。

街の楽しみの一つとしては、カテドラルの見物だ。
残念ながら、ここアバンカイにはカテドラルとプラサが無かった。
だから見るものも無く、ちょっと退屈だ。

少し街を歩いてみた。
山肌に造られた街なので、ほとんどが坂道だ。
クスコへ向かう道へ合流する道は、はこれまたすごい急坂。

夕飯は中華料理。
酢豚みたいなものとチャーハンがセットで8ソル(約210円)。
食べ終わってもどうも満腹感がない。

その後、ケーキ屋でチョコ・ドーナツとチョコ・ケーキを買って食べた。
そして、更に道端で売っているアンティクーチョを4本食べた。
そんなに食べるのか!?と思われてしまうが。

アンティクーチョはペルーの代表的な食べ物で、牛の心臓や肉などを串刺しにして焼いた物。
串の先には、ジャガイモが刺さっていて、1本0.5ソル(約15円)。
まったく自転車で旅をしていると食費が掛ってしまう。

たくさん栄養を付けて、明日の標高4,000mの峠越えに挑戦だ。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第7日目】  


6時30分に起床。
気温は8度。
標高が既に2,800mまで下がっているので、そんなに寒くない。

昨日は、テントの入口をメッシュにしたので、星空を見ながらの睡眠だった。
まだ寝付けない時、空を見上げてたら流れ星がたくさん落ちていた。
こんなにたくさんの流れ星を見たのはオーストラリア以来だ。

出発の準備をしていると、腕が痒い。
昨日テントを張った後に休んでいたら、サンド・フライにボコボコに刺されてしまった。
この標高でサンド・フライがいる事自体驚きだ。

今日はアバンカイまでの走行。
130kmあるけれど、ほとんどが下りだろう。
と思っていたが、この考えが大間違いだった。

道は昨日と同じように渓谷の中、川沿いの道を走る。
道は緩い下り坂でスピードは時速30kmで走る事が出来、かなり良いペースだ。
この調子だと、かなり早くアバンカイに着くだろう。

1時間30分で40kmも走る事が出来て、標高は約2,400mぐらい。
この辺りには小さな集落がたくさんある。
その村には、店もレストランもあるので、食糧補給という意味では十分だろう。

周囲の景色は、殆ど変わる事が無く、だんだん暑くなってきた。
標高は2,000mを切った。
それにつれて、サンド・フライも増えてきた。

走っている時は刺されないが、休んでいるとすぐに群がってくる。
虫除けスプレーは持ってこなかった。
アンデス山中には、サンド・フライがいるなんて思いも寄らなかった。

10時頃を過ぎると風が出てきた。
昨日と同じで谷風で、かなり強く、向かい風だ。
逃げ場を失った風がダイレクトに当たり、緩い下り坂なのにペダリングをしなければ前に進まない。

向かい風の中、えっちらおっちらペダリングし、標高1,800mまで下がった。
さすがにこの辺りになると、下りではなく緩いアップダウンの連続だ。
しばらく風と闘っていたら標識が現れた。

見るとアヤクチョ方面との分岐点だ。
アヤクチョは今から10年前、ゲリラの本拠地として有名な街だった。
しかし、今はゲリラも駆逐され、平穏無事な街になっているという。

アヤクチョ方面の道は、まだ未補走路で車線が一車線分。
しかも、九十九折れの道が続いている。
こちらの道もかなりハードの様だ。

そして、このアンデス越えの最低地点と思われる標高1,700mの橋を渡った。
道路脇に「ようこそアバンカイ」の看板が現れたので、てっきりアバンカイはもうすぐだろうと思った。
しかし、周囲を見ても、街らしき建物は見当たらず、屹立する山々のみだ。

まさか・・・と思いつつペダリングをしていると、道路は上り坂になった。
どうやら、アバンカイはまだ先で、上りのようだ。
事前調査ではアバンカイの標高は約2,400mなので、さすがに下りすぎたようだ。

もう既に走行距離は110kmを超えている。
最後のふんばりだと、自分に言い聞かせてペダルを漕ぐ。
最初の数kmは、かなり傾斜がきつい。

しかし、ここで自転車を押してしまったら、今までの苦労が水の泡だ。
ギアを落として黙々と漕ぐ。
300mぐらい上った辺りから、傾斜が緩やかになった。

九十九折れの道なので、風が向かい風になったり追い風になったりする。
追い風だと上り坂でもペダリングが楽になる。
自転車にとって、風は本当に驚異だ。

太陽がジリジリと照り付け、標高2,000mを越えてもかなり暑い。
腕は真っ黒に日焼けしてしまい、左腕は既に皮が剥けている。
本当にここはアンデス山中か?と思うほどだ。

街が近いせいか、コレクティーボ(乗合バス)が頻繁走ってる。
道路脇で休んでいると、みんな物珍しそうに見ている。
こんな山道を自転車で走るなんて、地元の人々からすれば狂気の沙汰にしか見えないのだろう。

再び、出発するが、まだ周囲には街は見えない。
対向車線の路肩に日陰が多いので、対向車線を走る。
たまにクラクションを鳴らされるが、問題は無い。

更に標高200mを上った辺りで、やっと街が見えた。
山肌に張り付くように建物が並んでいる。
よくもまぁこんな所に街が出来たものだ。

一応、道路脇には建物が多くなってきたので、アバンカイには入ったのだろう。
だが道は依然として上り坂。
そこから更に200mアップ。

やっと街中に入ったが、街中も緩い上り坂だった。
焦らずゆっくりと進み、セントロ辺りに入ったので、宿を探すことにした。
走っているとホテルがあったので、値段を聞くと20ソル(約600円)。

記帳していると、受け付けの人が「数日前に日本人カップルのライダーが来た」と言う。
またしても同じ宿になってしまい、偶然が続くものだ。
シャワーを浴びてゆっくりする。

さて明日はどうしよう。
ここから更に標高4,000mの峠を越えなければならない。
急ぐ旅でもないし、ゆっくりと行こう。

今日の走行距離は130km。
獲得高度は約600mで、さすがに足がガクガクしていた。
まさか最後の最後に600mも上りがあるとは。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第6日目】  


標高が高いせいか、昨日はあまり眠る事ができなかった。

テント内の気温は1度で、思ったほど寒くない。
テント内に入れた水は、凍っていなかった。
しかし、外は氷点下に下がっているだろう。

6時30分に起床して、テントを撤収。
東から微風が吹いている。
どうやら、朝は東から、昼は西からと変わるようだ。

ハイウェイに戻って走り始める。
緩い斜面を上がると、標高4,580mになった。
恐らく、ここが最高地点かもしれない。

朝陽を浴びながらの走行は気持ちがいい。
ペダリングをしているので適度に暖かい。
周囲は4,400〜4,500mのアルティプラノが延々と続く。

本当にここが標高4,500mの世界だとは信じがたい。
緩いアップダウンをクリアしていき、231km地点に小さな村落があった。
情報では、レストランと店があるとの事。

水が心持少ないので補給したい。
店を探すが、どこの建物かわからない。
ちょうど子供がいたので尋ねてみたら、青い壁の建物がお店だと教えてくれた。

ノックしたら、店の人が出てきた。
ペルーでは2.5Lの水が、2.5ソル(約80円)で売られている。
しかし、ここには700mlの小さいボトルしかない。

値段は1.0ソル(約40円)。
しょうがないので、3本購入。
今日はチャルワンカという街には入れるので、それほど大量には必要ないだろう。

村落を出て、再び緩い登りに。
登り終えたら、周囲にビクーニャの群れがいた。
相変わらず好奇心旺盛で、ずーっとこちらの様子を伺っている。

251km地点で、深い渓谷に向かってダウンヒル。
なんで、こんな所に渓谷があるんだ!といった感じ。
その渓谷の下に村があり、宿もあったが、まだ昼前なので通過し、再び登り返す。

休憩の時に、リャマの群れを連れた先住民が道路を歩いていた。
写真を撮ったら、その先住民は自分の元に走ってきて手を差し出した。
握手かな?と思ったら、第一声が「プロピーナ(チップをよこせ)」と言う。

しょうがなく、50セント(約20円)をあげたら、もっとよこせと言う。
「ふざけるな」と言うと、「じゃあ、お前が食べているパンをよこせ」と言う。
こっちは自転車で走っているので食糧は必要だ。

断ると、「自分たちは貧乏なんだ」と言って更に要求してくる。
さすがに切れて、「あっちへ行け!」と怒鳴ったら、しぶしぶ去っていった。
さすがにテンションが下がった。

むかつきながらも、再出発。
ペダリングでこの怒りを忘れよう。
峠らしき標高4,500mを越え、そして、長い下り坂が始まった。

道路状況は綺麗なので、かなり気持ち良くダウンヒル。
下りが気持ちいいのも、大変な上りがあるからだ。
それにしてもアップダウンが多い。

再び少し上り返して、小さな村落で休憩。
ビスケットとパンを食べる。
ミカンも食べて、ビタミンCの補給。

周囲の視線を感じる。
村人たちが珍しそうに自分の事を見ている。
このルートは、サイクリストの間では有名なルートなので、多くのサイクリストが通過しているはずだが・・・。

そして、緩い下りを降りて、最後の峠である標高4,300mを越えた。
ここから一気にダウンヒルが始まる。
峠の向こうを見てみると、絶壁に道が九十九折れで造られている。

よくもまぁこんな所に道を通したのもだ。
いろは坂顔負けの九十九折れを下る。
お陰で高度がグングン下がる。

標高3,000mを下回った。
ここからは渓谷沿いに道が造られていて、道は程よい下りだ。
がっ!谷を走っているので、谷風が強い!しかも向かい風!!!!!

いつ何時でも、気は抜けない。
しかも、全線下りではなく、緩いアップダウンもある。
走行距離は、既に100kmを越えたので、だいぶ疲れてきた。

チャルワンカまでは後10km。
周囲の景色は森があり、小さな村落もあり、人々は畑で働いている。
それを見ていると、なんだか信州の山奥を走っている様な感じがした。

しばらく走って、やっとチャルワンカへ。
なんとか無事に到着した。
ガソリン・スタンドの人に、宿の場所を聞いたら、この道を真っ直ぐとの事。

少し走ったら、前方に人だかりができている。
なんだ?と不思議に思いつつ走ると、お祭りのようで、パレードがあって道をふさいでいる。
なんだか嫌な予感がする・・・。

観客の中の人に尋ねると、どうやら今日と明日はお祭りと言う。
チャルワンカ周辺の人々が集まっているから、宿はすべて満室だよと。
警察官が居たので、再び尋ねると、同じ事を言う。

しょうがない、野宿することにした。
2.5Lの水を買って、チャルワンカを去った。
数km下った川沿いに広場を見つけた。

あたりには牛の糞が落ちていて、どうやら小さな牧場のようだ。
人々はみんなお祭りに行っているから、大丈夫だろう。
道路からも死角になっているので、牛の糞をどけて、テントを張る。

コンロでお湯を沸かし、紅茶で一息入れる。
今日は、結局130kmも走ってしまった。
それにしても、標高4,500mでの高原走行は楽しかった。

明日はアバンカイに入れるだろう。
地図を見ると、徐々に目的地に近づいている。
この感覚が自転車での嬉しい時だ。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第5日目】  


また昨日もよく眠れなかった。
眠ってはいるけれど、眠りが浅い。
すぐに目が覚めてしまう。

6時30分に起床。
宿に泊まっているので、テント撤収をする必要が無い。
早速、出発。

プキオの街中は道が悪い。
ここに限らず、ペルーの街中は道が悪い。
なんでこうなる?と思うほど悪い。

郊外に出たら、道が驚くほど綺麗になった。
これがペルーの道?と思われるほどだ。
ナスカ−プキオ間はすごく悪かったのに。

158km地点からスタートして、傾斜は緩いが、九十九折れの道を上がる。
途中、工事現場の人たちが手を振ってくれる。
みんな陽気でいい連中ばかりだ。

まさに「えっちらおっちら」という感じだ。
1時間30分が経過して、プキオの街を見下ろす場所で休憩。
169km地点で標高3,740mまで上がり、アンデスの山並みを見ながらの休憩は気持ちがいい。

そして、再出発すると、プキオから見えていてた山を越え、プキオの街並みが見えなくなった。
前方には、更に山々が控えている。
少し斜度が出てきて、山を大きく回る道が続く。

再び1時間30分の休憩で、181km地点は標高4,170m。
なんと!標高4,000mを越えてしまった。
コンドルセンカが最高地点だと思ったのに・・・どこまで上がるんだ??

そして、再出発。
192km地点に、レストランがあるという情報が得ている。
そこに12時前に到着した。

もう少し走りたい。
しかし、この先にレストランがあるのが30km先。
ずーっと登りだと、考えると難しい。

と考えていたら、似たような荷物満載の自転車が下りてきた。
またしてもサイクリストで、その男性2人はフランス人。
共に23歳で、夏休みにアルゼンチンのブエノス・アイレスから来ていて、ゴールはリマとの事。

彼らは、今日はプキオ迄との事で、ずーっと下りだと言ったら喜んでいた。
逆に、この先には湖が点在していて綺麗だよと教えてくれた。
そんな会話をして、お互い出発した。

202km地点まで一度は下り、左手に湖が見えてきた。
そして、標高は4,500mになた。
おいおい、標高4,500mまで上がるなんて聞いてないぞっ!!まったく・・・。

そこからは、標高4,400mから4,500mを行ったり来たりの繰り返し。
まさに雲上の走行で、ここが標高4,000m以上とは思えない。
「アンデスにいるんだなぁ」としみじみ実感する。

そろそろ走行6時間も越えるし、だいぶ疲れてきた。
湖畔でテントを張ろうとしたが、ハイウェイから丸見えだ。
テントが張れる場所を探すため、きょろきょろしながら進む。

217km地点を越えた辺りの右手に、岩が点在している場所があった。
あの岩陰ならテントを張れそうなので、自転車をハイウェイにおいて、歩いて偵察へ。
どうやら大丈夫そうで、西側も開けていて、落日も見えそうだ。

自転車を押して、そこまで移動。
どうやら、風が強くなってきた。
テントを張って、もぐりこむ。

太陽が出ているので、テントの中は暖かい。
標高は4,480m辺り。
明日の朝は寒そうだ。

紅茶を作って一服。
今日は、192km地点のレストランでもOKと考えていたから、予想以上に進めた。
これで明日はチャルワンカには到着できそうだ。

17時半を過ぎたので、食事の用意。
陽が沈むのは大体18時ぐらいだから、それまでには作り終えたい。
ツナたまねぎ卵とじ丼を作成する。

空腹なので美味い。
空腹だったら、何でも美味なのだ。
米2合をたいらげた。

そして、陽が沈んだ。
空はみるみるうちに、青から紺へと変わっていく。
それと同時に気温も下がり、5度ぐらいになった。

少しずつでは、あるがなんとか前に進めている。
これを繰り返していけば、アンデス越えは完了する。
そう自分に言い聞かせて、眠りについた。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第4日目】  


標高3,300mのアンデス山中の街プキオ。
アンデス越えをする人間にとっては、大事な中継地点となる。
街と言っても、それほど大きくない。

やはり、場所がらインディヘナ(先住民)が多い。
空は青く、雲一つ無く、まさに快晴だ。
周囲は当然ながら、山に囲まれている。

今日は休憩日として、食糧の買出しや洗濯などをする。
宿の人が「数日前に2組の日本人が来たよ」と教えてくれた。
一組はカップルでバイク、もう一組が自転車でと。

なんと!彼らとはリマの日本人宿で一緒に会っている。
まさか同じ宿になるとは偶然だ。
彼らはもう既に1週間前にクスコに向かったという。

まずは買出し。
ここから次の街チャルワンカまでは約250km。
街は無いので、最低でも2日分の食糧は必要だ。

今回は食糧事情を考えた。
パスタは腹持ちはいいが、茹でる為の水が必要で、しかも、その水は茹で終わった後、捨てなければならない。
まぁスープ・パスタにすれば、話は別ではあるけれど、味があまり好きではない。

やはり、日本古来から続く腹持ちのいい「米」。
米だと水も無駄にならない。
宿にいれば米は洗うけれど、野宿の時は水が無駄なので洗わない。

米を炊くとなると、それだけでは食卓が寂しい。
こうなると「おかず」が欲しくなる。
幸い、リマで買ってきたゴマ油、醤油、豆板醤などの調味料は持っているので、簡単な調理ならできる。

色々と考えた挙句、ツナ缶をメインに使う事にした。
まずはたまねぎを炒め、甘くなったらツナ缶を入れ、その後、溶き卵を入れて、味付けに醤油をたらす。
それをご飯にかけて食べれば、見た目は親子丼かと思うほどだ。

これなら、水は少しで済む。
たまねぎやツナ缶だったら、小さな村でも手に入るし。
新たなレパートリーが増えた。

しかし、ご飯を炊くと、後片付けが面倒くさい。
鍋にこびりついたご飯を落とすには、やはり水が必要だけど、ほんの少量の水を垂らして、ちり紙で拭く。
水が無い場所での後片付けには「ちり紙」が大活躍だ。

結局、ツナ缶2個、たまねぎ2個、卵6個、米1kgを買った。
走りながらの行動食はミカン4個、ピーナッツ300g、ビスケット12個、パン1kg。
これで、なんとか大丈夫だろう。

さて、再びアンデス越えに挑戦だ。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第3日目】  


6時30分起床。
小屋の中の気温は3度。
さすがにちょっと冷える。

トイレに行く。
お尻を出して、キジを撃つ。
ここのトイレは穴を掘って、周りに石を置いただけだが、標高4,000mでのキジ撃ちは中々オツなものだ。

既に朝陽が出ているので、日向に居ると暖かい。
レストランの家族と一緒に写真を撮って出発。
色々とありがとう!

峠までは残り約16kmで、標高差300mのみ。
坂はかなり緩いので、1時間ぐらいで到着できそうだ。
風が東から吹いているので、流石に冷える。

走っていたら、前方になんだか転がっている。
なんだろう?と思いつつ、近づいてみると、何かの死体のようだ。
犬か?と思ったけどかなり大きい。

どんどん近づいてきて、良く見るとなんとビクーニャで、恐らくトラックに轢き殺されたのだろう。
まだ時間が経っていないようで鮮血が流れ、内臓が外に飛び出ていた。
そのクルクルと曲がった内臓を見たら流石にテンションが下がった。

気を取り直して走り続けると、標高4,200m辺りの鞍部を過ぎたら、右側が大きく広がった。
遥か彼方に延々と大地が広がっていて、その広さは東京ドームよりも大きい。
そこに自由にビクーニャが行きかう。

うーむ、すごい。
「雄大」の一言に尽きる。
アンデスはデカイ!!

少しずつ少しずつ進むと、どうやら目の前に峠が見えてきた。
8時45分、ついにコンドルセンカ陥落!!
自転車を押す事も無く、トラックに載せてもらう事も無く、自分の力でここまで走りついた。

これだから峠越えはたまらない。
この達成感が、また次の峠へと誘う。
そして、峠越えの楽しみの一つであるダウンヒル。

峠で写真を撮り、一気にダウンヒルを開始。
傾斜はかなり急で、逆に登ると大変そうだ。
下りのスピードは時速60kmほど。

25kmで一気に標高1,000mを下る。
途中に、小さな村もあったが通過。
ダウンヒルの終着地点である標高3,300mの川に到着。

川を渡って再び登る。
ここからの傾斜がちょっと急で、一汗かいた。
129km地点で、標高3,500mのルナカスをいう村についた。

今日は7月28日でペルーの独立記念日。
村の人々が歌を歌い、陽気に踊っている。
皆、とても楽しそうだ。

この村で3人のサイクリストに出会った。
彼らはアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスから来ているドイツ人。
1人はリマまで、もう1人はエクアドルの首都キトまで、更にもう1人はアラスカまで行くという。

ルカナスからは、緩いアップダウンを繰り返した。
右手は深い渓谷になっていて、アンデスの「でかさ」を嫌が上にも感じられる。
ロッキー山脈とはまた違った楽しさがある。

155km地点辺りから、遥か下にプキオの街並みが見えた。
アンデスの中にポツンと佇んでいる。
そこまでは200mのダウンヒルをして、無事にプキオに到着。

ここで1日の休憩を入れて、再びアンデス越えをする。
食糧を補給し、体や膝を休めなければならない。
2日ぶりのベッドだ。

シャワーを浴びて、顔を見たら真っ赤に日焼けしていた。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第2日目】  


昨日はグッスリとは眠れなかった。
どうも自転車の旅を再開してから眠りが浅い。
以前は普通に眠れていたのに。

朝6時30分に起床、テント内の気温は5度。
標高2,300mでこの気温だったら、それほど寒くない。
標高が高いと、空気が緊張していて気持ちがいい。

水を買った店に出発する旨を伝える。
子供たちも元気に手を振ってくれた。
色々とありがとう!!
1km走った43km地点にレストランがあった。
まだ朝が早いようで客もいない。
昨日と同じように標高を稼ぐが、道は相変わらずの九十九折れ。

51km地点辺りで、左手に村らしきものが見えた。
建物からして、どうやら何かの施設のようだ。
それには目をくれず、走り続ける。

52km地点にビジャタンボという村があった。
レストランが3件ほどあるので、水も補給できそう。
水はあるので通過。

村を少し過ぎて、標高2,750mの場所で休憩。
日差しは強いが、標高が高くなっているので、汗はかかない。
そのため、水の減りも遅い。

高山病にならないようにするためには、水分補給は大事な要素だ。
ワラスで高所登山をしていたので、まだ大丈夫だろう。
高度順応は出来ているはずだ。

それよりも、なんだか膝が痛む。
うーん、ポジションがあっていないのかな?と思い、シートを少し高くした。
そして、出発したら、なんと!膝が痛くなくなった。

よく考えたら、リマでシート・ポストが壊れたので交換した。
中古で20ドルした粗悪品。
その時、ポジションを合わせるのを忘れていて、ここまで走ってきた。

よくよく考えれば、チンボテからナスカまでは、どうもペダリングがいつもと違うとは思っていた。
まさかこんなんで解消されるとは。
たった1cmだけ上げただけなのに・・・ポジションは大切です。

ペダリングも好調になり、スピードは7〜8km/hに上がった。
九十九折れをクリアしながら、標高を稼ぐ。
60km地点で標高3,000mを越えたら、道がかなり緩やかになった。

今までの自転車で越えた最高地点はエクアドル南部の約3,700mだった。
あと少しで、その記録も更新される。
今思えば、エクアドルの時はペダリングはヘロヘロだった。

更に出発。
急激な九十九折れは無くなり、道は緩いカーブを繰り返して、標高を稼いでいく。
標高3,400m辺りで道が平らみたくなったが、後を振り返ってみると、やはり上がっているのがわかる。

標高3,350m地点には橋があり、水は無いので、橋の下で野宿はできそう。
標高3,500mになって、しばしの休憩。
西風が吹いているので、上っている時は追い風になってくれている。

道路状況は、舗装と言われているけれど、その状況はかなり劣悪だ。
継ぎ接ぎ、割れ目は当たり前で、時々、穴も見かける。
これが下りだったら、かなり危険だ。

75km地点から一面パンパ(平原)になった。
平原と言っても、緩い丘陵地帯だから平らな道ではない。
まだまだ登りは続くのだ。

そして、この辺りは「パンパ・ガレラ」と言って国立自然保護区に指定されている。
その理由は、アンデス特有の動物ビクーニャが生息しているからである。
ビクーニャはかなり貴重な存在だ。

アンデス特有の動物として、リャマ、グアナコ、アルパカ、そして、ビクーニャがいる。
それぞれの毛皮は、セーターやマフラーとして売られている。
中でもビクーニャはかなり高価で、捕獲できるのは限られた会社のみで、販売も限られた店のみ。

ビクーニャのマフラーは300ドルもするとか。
一般のペルー人の給料が100ドルというから、それがいかに高価だというのがわかる。
しかし、日本ではそのマフラーがなんと3,000ドルで売られているとか。

そのビクーニャが道路を横切り、かなりの数が群れている。
数えてはいないが、100頭は見た。
思わず、3,000万円が自分の周りを闊歩しているのか!と俗世間的な考えをしてしまった。

自由に闊歩するビクーニャ、青空を優雅に舞うコンドル。
透き通るような青が広がる空。
嫌が上でもアンデスにいるんだと実感する。

徐々に標高を上げて行き、3,700mを越えた。
自己記録の更新だ。
疲れもあるせいか、ペースが落ちてきている。

そして、84km地点に到着したら、レストランが2件あった。
レストランの人にテントを張りたい旨を伝えると「小屋があるので、その中で寝ても良いよ」と言ってくれた。
その好意に甘えて、小屋の中で眠る事に。

レストランの人々と話す。
日本人だと言うと、「フジモリ大統領は知っているか?」と聞かれる。
彼は良いか悪いかと聞くと「最高だ。また戻ってきてほしい」と言う。

皆が言うに「クスコへと続く道がアスファルトになったのも、電気が通るようになったもの彼のおかげだ」と。
周囲を見ると、確かに送電線が延々と続いている。
フジモリ大統領は、ペルー全土のインフラ整備に力を注いだようで、田舎の人々には絶大な信頼を受けていると言う。

ここの標高は4,000mのようだ。
自分の時計についている高度計は3,800mを指していた。
どうやら誤差があったようだ。

夕飯は、またしてもパスタ。
この標高になると沸点が低くなるので、パスタは難しいと言われている。
作ってみると案の定、中は少し固め、外はベチョベチョになっている。

陽が沈むとグッと気温が下がるが、その落日は息を飲む様な美しさだ。
さて、明日はいよいよ標高4300mの峠。
ナスカから約100qと長かった上りも終わりを迎える。

しかし、まだまだアンデス越えは始まったばかりだ。

【2005年08月 旅日記】


■アンデス越え【第1日目】  


いよいよ待ちに待ったアンデス越えだ。
ここナスカからクスコまでは距離にして約660km。
平地であれば、一週間ぐらいで普通に走れる距離だ。

ナスカが標高660m。
そこから約100kmかけて標高4,300mの峠まで上がる。
その峠の名前は「コンドルセンカ」。

富士山丸々一個分を登らなければならない。
峠マニアにとっては垂涎モノの場所だ。
また、南米を自転車で旅する者にとっては、避けられないルートだ。

その後は、プキオと言う街を経由して、標高3,300mまで下がる。
再び標高をあげて、標高4,500mの高原台地(アルティプラノ)を走り、アバンカイという街を経由してクスコに入る。
途中にはプキオ、チャルワンカ、アバンカイの3つの街しかない。

しかし、道中には小さな村があるようだ。
そこにはレストランや店があるので、餓死するような事は無い。
要は上り坂でくたばるか、上り切るかが、勝負だ。

まずは初日。
42km先にあるワルワを目指す為、ナスカを6時30分に出発。
外に出ると、なんと霧がかかっているではないか!

「おいおい・・・最悪の出発かよ」と嘆くが、逆に涼しくていいかと開き直る。
郊外に出で、パンアメリカン・ハイウェイに乗る。
しかし、すぐに左の内陸クスコ方面と右の海岸線アレキパ方面の分岐点が現れ、迷わず左へ。

プキオ160km、チャルワンカ350km、アバンカイ460km、そして、クスコ660kmと表示が現れる。
まずは、取り敢えずプキオを目指す。
道路沿いには「km」を表示するポストがあるので、今自分がナスカからどのくらい走ったのかが、理解できる。

まずは霧の中、緩いアップダウンをクリアしていく。
10kmぐらい走ったところで、右手に「セロ・ブランコ」が見えた。
なんでも標高2,000mで世界最高の砂山だとか。

いよいよ傾斜がきつくなってきた。
きつくなって来たと言っても、斜度にすると約6%ぐらい。
それほど激坂といった感じではない。

1時間30分経過したので標高1,000mの地点で休憩。
パンを食べていたら、荷物を満載したバイクが2台走ってきた。
黒いライダージャケットを着込み、なかなかさまになっている。

彼らは止まって話かけてきた。
お約束、どこから来た?どこへ行く?と。
聞くとドイツ人のアベックのようだ。

クスコまでは10日ぐらいかかるよと言ったら、肩をすくめていた。
そりゃ、バイクだったら、きばれば一日で着くだろ!
「ブエン・ビアヘ(よい旅を!)」を言って去っていった。

その後、周りを見ていたら、地響きが起きた。
驚いて左手後方を見ると、小さな崖崩れが起きていたようで、土煙が上がっている。
音一つしない静寂の世界で、この音はすごい轟音だった。

グングン標高を上げていく。
完全な九十九折れの道で、日光いろは坂と同じだ。
ここのカーブはいくつあるんだろうか?

それにしても暑い。
太陽光線がものすごく強い。
走っていると背中がジリジリする。

半袖なので、腕がすぐに赤くなった。
日焼け止めクリームを塗るのは、嫌いなのでほっておく。
気温計を見たら30度を越えていた。

この暑さは、予想外だった。
一応、8Lの水を携帯しているが、消費が予想以上に早い。
これから目指す42km先のワルワには、一応、店があるという情報なので、水の補給はできるだろう。

更に1時間30分経過し、標高1,450m。
絶壁を縫うようにして道ができているので、日陰が無い。
ようやく急カーブの所が日陰になっていたので、そこで休憩。

交通量は殆ど無い。
輸送物資のトラックか、これからプキオへ向かう乗り合いバスのみ。
たまに観光客を乗せた観光バスが通るぐらいで、本当に音が無い静寂の世界だ。

標高1,600mを越えた辺りから、谷を抜け出して山の上に出た。
そこから、更に山が続いていて、道がクネクネと伸びている。
さすがアンデス、そう簡単ではないはずだ。

時速6kmとペースが遅いく感じるが、こんなもの?と疑問を思いつつ、ペダルをこぐ。
すれ違うトラックの運転手が手を振ってくれる。
こういう何気ない事が「よし、がんばろう」とやる気を奮い立たせてくれる。

更に1時間30分経過し、標高1,950m。
1時間30分で約400mのアップの計算だ。
エクアドル南部で1時間30分で600mアップしたら、両足がガクガクして歩くのがしんどかった。

今はペースを抑えて、ゆっくりと走る。
まぁ傾斜も緩いので、それほど急激に標高を稼ぐ事はできないだろう。
焦らずにゆっくり行こう、と言い聞かせる。

さすがに疲れが出てきて、膝がガクガクする。
左膝も痛み始めた。
初日からこれか・・・・先が思いやられる。

トラックも荷物を満載しているので、エンジンが唸りをあげながら走ってる。
そのスピードは時速10kmぐらいで、エンジンがかわいそうなくらいだ。
運転手にとっても、アンデス越えは大変のようだ。

西方面を見てみると海が見えたが、しばらくの間は海とはサヨナラだ。
更に一山を越えたが、更に高い山が遥か彼方に見える。
ここで嫌気を出してしまえばお終いだ。

40kmを越えたら、前方に小屋が見え、どうやらワルワのようだ。
それから、少し走って村についた。
村といっても家が4,5件あるのみ。

今日は約6時間の走行。
時間にして15時に到着。
ここの標高は約2,300m。

道路チェックをしている警察がいたので、テントを張って寝たい旨を話す。
そしたら、警察の建物があるので、その陰で寝ればいいと教えてくれた。
ありがたや、ありがたや。

テントを張ってゆっくりする。
その後、夕飯はパスタなので、水が必要だから店で水を3L購入。
水が貴重だというのにパスタにしてしまった・・・失敗。

今日は、標高約1,700mを稼いだ事になる。
51km地点にも村があるけれど、さすがに今からだと夕暮れになってしまう。
まだまだこれからなので、ここで休む事にする。

ちょうど西方面が開けれているので、久しぶりに綺麗な夕陽が見えた。
こういう自然の景観が疲れを癒してくれる。
さすがに疲れたが、心地のよい疲れだ。

さて、明日は84km地点を目指す。
峠の手前だけど、標高はどのくらいあるのだろうか?
まぁ走っていれば、おのずと到着するだろうと気楽に考えた。

20時には眠りについた。

【2005年08月 旅日記】


■地上絵  


リマを出発して、6日目にナスカについた。

「ナスカ」と聞いて、知らない人はいないだろう。
そう「ナスカの地上絵」として有名な場所だ。
リマから南に450km、砂漠の中に存在する街で、観光地であるため、欧米人などもたくさんいる。

地上絵はナスカの町からセスナで飛びながら見る。
値段はこの時期がハイ・シーズンで40〜50ドル。
ロー・シーズンだったら30〜40ドルぐらい。

セスナの他に、ナスカの町から北に20kmほど行った場所のパンアメリカン・ハイウェイ沿いに展望台がある。
高さ約15mの鉄の櫓の上からは「手」と「木」の地上絵を見る事ができる。
櫓に登るのに1ソル(約30円)。

近くに「トカゲ」もあるが、パンアメリカン・ハイウェイの建設によって分断され、今は消えつつあるという。
さすがはペルー人、このような大切なものを大切とも考えない。
すばらしい人種だ。

しかし、今はハイウェイ沿いに鉄柵が張り巡らされていて、入れないようなっている。
対策が遅いのでは?と思うが、今はもし入ったら、多額の罰金だとか。
どうやら、やっとこの地上絵の大切さがわかったようだ。

自分は、前日に手前の町パルパで滞在し、ナスカを目指していた。
朝8時ぐらいに路上で休んでいたら、セスナの音が聞こえた。
おおっ!まさかこれは地上絵を遊覧するセスナではないか!ということは地上絵が近いという事か。

しばらく走ると、ハイウェイの脇に「ナスカの地上絵」のサインが現れた。
上空を見上げると、セスナが数機飛んでいる。
その先に展望台が見えてきた。

早速、展望台の上に立って、地上絵を眺めてビックリ!!
思わず「小せえ!しょぼいっ!」と叫んでしまった。
地上絵よりもむしろ、遥か彼方に続く砂漠の地平線の方がすごかった。

地上絵は、砂漠の中に線で「絵」が描かれている。
小学生の頃、テレビでナスカの地上絵があるという事を知り、いつかは行ってみたいと思っていた。
それから数十年、今、そこに自分がいる。

確かに不思議な要素は多いが、絵自体は小さいのが残念。
高校の時、地上絵に憧れて?夏休みに学校へ入り、先生が居ないのをいい事に、グラウンドに石灰で落書きをしまくったのを思い出した。
そっちの方が感動的だったかも?!

以前、地上絵を見た人に感想を聞いてみた。
殆どの人が「小さいすぎるから、感動はしないけど、一応有名だしね。行っておくか。」と。
そういうものかと思いながら、その話を聞いていたが、まさか本当にそう感じるとは。

そして、ナスカの町に入った。
旅行会社もいくつか並んでいる。
飛ぼうかと思ったけど・・・実は自分は高所恐怖症。

セスナで飛んだ人の話だと、高所恐怖症の人はちょっと辛いかもと言う。
なんでも、セスナの運転手は地上絵がよく見えるように、旋回をしまくるらしい。
で、殆どの人が酔ってしまい、地上絵どころではなくなってしまうと。

とある友達がこんな話を。

セスナに乗るのを待っていた。
セスナが戻ってきて、みんな黒い袋を手にして降りて、そして、ごみ箱に捨てていく。
その人は「おおっ!軽食とか出て、食べながら地上絵を見るのか、すごい!」と思ったようだ。

がっ!それはおお違い。
その黒い袋は「ゲロ袋」で、酔った人がみんなこの袋の中に吐くらしい。
セスナの各シートにその袋が用意されていると。

・・・と、これほど揺れるらしい。
下から見てると、そんな感じはしないんだけど。
やはり、下からと実際に乗ったのではかなり違うようだ。

50ドル払って、酔ってゲロは吐きたくないなぁ・・・と思い、セスナの遊覧は止めにした。
なんで!?って思うかもしれないけど。
まぁ他の人があまり見ない展望台から地上絵を見たからよしとするかと。

ナスカでの思い出は、コンドルの形をしたシルバーのピン・バッチとショット・グラスを買った。
ピン・バッチはフロント・バッグに取り付けて、ショット・グラスはロン(ラム酒)を呑む時に。
これはかなり良い買い物だった。

自分としては、ナスカの地上絵よりも、このナスカからクスコまでの約600kmの「アンデス越えルート」の方が気になっていた。
標高4,000m以上の峠を幾つか越える南米の中でも有数な厳しいルートだ。
やはり、自転車で旅しているからにはここを越えない意味が無い。

約1年越しの想いを込めて、いざアンデス越えへっ!!

【2005年08月 旅日記】


■TV出演  


リマを無事に出発。
リマは南米でも5本の指に入るほどの大都市で、人口は約700万人。
市街地が広いので、パンアメリカン・ハイウェイに合流するまでが大変だが、なんとか合流して、走り続けていた。

そして、リマを出発してから3日目の事だった。
サン・ヴィセンテという町を出発した。
いつものように、朝7時に起床して、朝飯は食べずに7時15分ぐらいに出発。

道は平らだと聞いていたのに、砂丘のアップダウンが続く。
天気も相変わらず、どんよりとしている。
風景も単調、天気もどんより、しかもゴミが多く、テンションは低い。

やっとアップダウンをクリアして、道が平らになった。
ペダリングをする度に、なんだか左膝周りの筋肉に痛みがはしる。
果て?筋肉痛か?まさか・・・。

一休みして、再び走るが痛みは止まらない。
まぁ足がまだ慣れていないせいだろう。
再出発して、まだ500kmしか走っていないからか。

今日は、90km先の町を目指していたが、残り70kmはなんだか厳しそうだ。
ここから10kmぐらい走ったところに、チンチャ・アルタという町がある。
この先に待っているアンデス越えに備えて、膝を壊したくないので、この街で休む事にした。

中南米には、必ず街の中心に広場があり、この広場を「プラサ・デ・アルマス」という。
そして、そのプラサの前には、必ずカテドラル(大聖堂)が聳えている。
このプラサの周りには、宿やレストランが集まっているので、プラサに行けば宿がある。

いつものように、プラサに向けて走った。
ペルーの街中の道は舗装されているが、ひび割れ、継ぎ接ぎだらけで走りにくい。
なんとか、プラサ・デ・アルマスに到着した。

その一角で、なんだかスーツらしき服を着た男女が集まっていて、人だかりができている。
お祭りか?と自転車を止めて見ていたら、広場を巡回している親父が近づいてきた。
お約束「何処から来た?」「何処へ行くんだ?」と質問攻めにあう。

親父の友達らしき人も止まって、話を聞いてくる。
その中の一人が、先ほどの集まっている男女に向かって手招きをしている。
なんだ?何が始まるんだ?

そしたら、その男女が近づいてきた。
なんと女性はマイク、男性はカメラを持っている。
頭の中は「???」が漂いまくっている。

どうやら、その人だかりは何かの機関の卒業式みたいなものだったようだ。
この男性と女性はチンチャ・アルタのローカル・テレビの取材班で、取材にやって来たと言う。
そしたら、なんと、カメラで自分を撮らせて欲しいと言うではないか!

男性がカメラを自分に向けて、女性がマイクで質問する。
周囲を見ると、人だかりができてしまっていた。
みんな珍しそうに見ている。

−何処の国の人ですか?
−日本人です。

−日本から自転車で来たんですか?
−そうです。自転車で旅をしています。

−どのくらいの期間、旅をしているんですか?
−約3年です。

どよどよと人々がざわめく・・・・。

−どのくらいの距離を走ったのですか?
−今で約45,000kmぐらいですね。

更にざわめく・・・・・。

−走ったルートを教えてください。
−始めにオーストラリアに入り、ニュージーを走り、カナダ、アメリカ合衆国、中米全土、そして、南米に入り、ペルーまで走ってきました。

−この自転車はいくらですか?
−100ドルです。

さすがに本当の値段は言えない。
女性も100ドルので走っているんですか・・・と感心している。

−何カ国訪問しましたか?
−ペルーで15カ国目です。

−危険な事はなかったですか?
−いいえ、みんな親切で楽しいですね。

などと、質問がかわされた。
その間、カメラは自分の顔から徐々に自転車へと移っていった。
周りの人も笑っていて、なんだか、すごく恥ずかしい。

−食事は?
−自炊用具を持っているので、米やパスタを食べています。

−見せてもらえますか?
−えっ!?ここで?

と、みんな興味津々なので、その期待を裏切る事はできない。
バッグの中から、ガソリン・コンロを取り出して、こういう風に調理をするんだと教えた。
その一部始終をカメラが映している・・・おいおい、こんなところ撮るの??

そして、最後に、日本語でカメラに向かって、一言と言われた。
さすがに「ペルーは鬼門です」とは言えないので「とっても楽しい国です」と答えておいた。
終わったら、皆で拍手喝采、なんでも今日の夕方8時頃に放映されるという。

実をいうとテレビ出演は、初めてではなかった。

コロンビアを走っている時に、原チャリに乗った親父が横付けしてきて、声をかけてきた。
バイクの籠にはカメラが入っており、どうやら取材をしたいと言う。
この時はスペイン語が今ほどは出来ず、しきりに「ケ?ケ?ケ?(何?何?何?)」を連発していた。

夕方TVを見たら、つたないスペイン語でなんとか話している自分が画面に映っている。
なんとも間抜けは顔だったが、嬉しいような恥ずかしいような・・・。
しかし、良い思い出になったのは言うまでもない。

あそこで左膝に痛みが走らなければ、次の町にいるところだったのに・・・。
旅はどう転ぶかわからない。
これが旅の醍醐味だ。

それにしても、まさかTVに出るとは。

【2005年08月 旅日記】


■ペルーは鬼門  


チンボテを出発して、順調に旅は続いていた。

ペルーの海岸線は、海岸砂漠気候に属しているため、景色は草木一本生えていない砂丘が続く。
しかも、その砂丘が意外にも大きく、アップダウンが多い。
平らに見える道も、徐々に登っていて標高を稼いでいく。

標高を稼ぐと言っても僅か標高400mぐらいだ。
しかし、足が慣れていないので、標高400m上がるだけでも一苦労だ。
以前だったら、普通の坂としか感じないのに、今はペルー最高峰のワスカランに挑む様な感じだ。

この辺りは6月から10月までは「冬」になる。
赤道に近いけれど、意外に寒い。
寒流であるフンボルト海流が流れているためであろう。

そして、この時期特有な「ガルーア」と呼ばれる霧が空にかかっている。
朝起きても、どんよりとしているのでテンションも低い。
リマまで太陽を見る事は皆無だった。

更に、この辺り一帯は、南風か南西風が吹いており、更にしんどい要素が加わる。
その強さはペルーの国旗がバタバタと、はためくほどだ。
結構、強い風が吹く。

その風は朝から既に吹いており、10時頃になると一旦止まる。
そして、午後2時ぐらいになると、再び吹き始める。
この吹いていない間に、いかに距離を稼ぐかがポイントになる。

そんな中を一日50〜90kmのペースで走っていた。
以前だったら、90〜120kmといった感じだったのに。
まぁ競争している訳ではないので、いいんだけど。

ペルーの宿は、値段が高い割に設備が悪い。
ホット・シャワーは皆無で、ほとんどが水シャワー。
トイレには便座が無い。

どうやら、水シャワーを浴び続けたので鼻風邪をひいてしまった。
ちょっとだるく、鼻水が出るくらいだったので、なんとか走り続ける事ができた。
どうやら本当にペルーは鬼門のようだ。

このようなしんどい要素が多いけれど、やはり自転車の旅は楽しい。
すごく「自由」を感じる事ができる。
止まるのも進むのも自分次第。

すれ違うトラックの運転手が、クラクションを鳴らしながら手を振ってくれる。
追い越していくバイクは、左腕を出して、親指を立ててくれる。
道路沿いでレストランで休んでいる人が、手を振り、声を掛けてくれる。

こういう何気ない事が、「よしっ!頑張るぞ」と奮い立たせてくれる。
こう言っては申し訳ないが、バス旅では感じる事ができない事だ。
自転車で旅をしていると、「旅」が、自分一人の力で成り立っているのではないと、改めて感じる。

自転車で旅している事を嬉しく思いつつ、ペダルを漕ぐのであった。

【2005年08月 旅日記】