■再開

走りを止めてから約11カ月。
常に、この日を想い続けてきた。
期待や楽しみもあったが、不安もあった。
本当に自転車の旅を再開する事ができるのだろうか?
以前と同じように走る事ができるのか?
しかし、日本を出国する時も同じように、感じていたはずだけど、なんとかここ南米まで走ってきた。
ワラスで登山を終えた後、リマの自転車を預けてる日本人宿に戻った。
一年ぶりに見る相棒は、埃こそ被ってはいたけれど、元気に見えた。
壊れたフォークも新しいフォークに交換し、原因と思われるフロント・ホイールも新しいものに交換。
その相棒とバスで、チンボテに戻ってきた。
この思い出の地から、再び旅を再開するために。
リマの宿に居た友人たちは、リマから走りはじめればいいのにと、口を揃えて言った。
しかし、アラスカから南下してきている身にとっては、その一本の線が途切れるのが許せない。
まぁパナマ−コロンビア間は道が無いので、飛行機を使わざるを得ないのだが。
その気持ちは、バックパッカーの人々には理解できない。
夕方、チンボテに到着。
チンボテで泊まった宿も、去年、泊まった宿と同じ。
宿のおばさんは、自分の事を覚えていてくれて、同じ部屋にしてくれた。
街の雰囲気は、ほとんど変わっていなかった。
変わったといえば、部屋のシャワーがホット・シャワーになっていた。
以前は水シャワーだった。
その日はゆっくりとして、次の日は準備にあてた。
水をポリタンクに入れ、食料を揃える。
こんな重い荷物で、よくもまぁ走ってこれたものだと思った。
本当にできるのか?
これでアンデスを越えられるのか?
色々な不安に襲われ、その夜はあまり寝付く事ができなかった。
しかし、いつのまにか寝付いていて、時計のアラームで目が覚めた。
サイクル・パンツを履いて、準備をし、自転車を宿の前に置いて、写真を撮る。
一路、パンアメリカン・ハイウェイをひたすら南下して、とりあえず目指す目的地はリマだ。
自転車にまたがり、ペダルを漕ぐ。
前にスーっと進む。
多少抵抗は感じるが、右、左、右、左と交互に漕ぐ。
進んでいる。
前に進んでいる。
自分の力で、自分の足で。
確実に進んでいる。
この感覚が、ものすごく嬉しかった。
正直、目頭が熱くなった。
天気はどんよりとした曇空であったけれど、忘れる事のできない日となった。
【2005年07月 旅日記】
■駄目押し

ウルス、イシンカ、ピスコに登頂する事ができ、無事に去年のリベンジは果たせた。
さて、次なる高みは標高5,652mのバユナラフ。
ここでもう止めてもいいのだけど、どうせここまで来たんだ、もう一発登ってやろうと思った。
バユラナフは、ワラスの町からも頂は拝む事が出きる。
この山はノーマル・ルートと岩と雪のミックス・ルートに別れる。
ノーマルは西から、ミックスは東からの攻略となる。
当然、自分はノーマル・ルートからの挑戦となる。
去年、このノーマル・ルートは発見されておらず、ミックスのみの玄人の世界であった。
こういう発見は嬉しい限りだ。
ガイドは、ピスコに登った時と同じで、今回はポルタドール(荷物持ち)はいない。
また、ベース・キャンプまでは車で行き、そこからモレーン・キャンプまでは直登が続くのでブーロも使う事ができない。
自分たちで荷揚げをする純粋な登山だ。
ワラスを7時30分に出発。
一路、タクシーで標高4,400mのベース・キャンプを目指す。
時は6月25日。
周囲は絶壁に囲まれていて、よくもまぁこんな所に道を作ったのものだといった感じだ。
その道路はガレガレの岩場で、よくもまぁこんな所を走れるものだといった感じだ。
揺られる事、約2時間、ようやくベース・キャンプに到着。
目の前にはランラパルカ(標高6,162m)の西壁が聳えていえる。
このランラパルカは見る方向によって、全く容貌が違い、東壁よりも西壁の方が何人も寄せ付けない雰囲気が漂っている。
自分もあのような壁に挑戦できる時が来るのであろうか。
10時15分、支度をして出発。
モレーン・キャンプまでは約3時間。
久しぶりに荷物を担いでの登山だ。
直登が始まり、汗が噴き出る。
ゆっくりと一歩一歩進む。
まさに登山をしているといった感じで、心地いい。
下って来るパーティもいるが、ほとんどがヨーロッパ人で、皆、無事に登頂できたようだ。
登っているパーティは、自分たちとあと一組のみ。
あまり有名な山で無いので、人が少ないのであろうか。
標高4,700mで一休み。
天気は快晴なので、眼下にはレフヒオ(山小屋)とラグナ・ジカが見える。
ラグナ・ジカは、ランラパルカの氷河の溶けた水で出来ていて、ターコイズ・ブルー色をしていて美しい。
そして、再出発。
道は程よく緩やかになり、それと同時に大きな岩のガレ場に。
よくもまぁ、こんなでかい岩が落ちてくるものだ。
12時20分、そこからしばらくして、標高4,900mのモレーン・キャンプに到着。
ベース・キャンプから所要時間2時間で、なかなか良いペースだった。
テントは2組のみで、さみしい限りだ。
今回は、きちんと鍋も持って来ているようだ。
全く、鍋だのマッチだの忘れすぎだ。
まぁ所詮、南米だから、期待する方が無理といった感じか。
テントを張った後は、紅茶を飲みながらゆっくりと過ごす。
高度順応はほぼ完璧にできているので、極端な水分補給は必要無い。
時間がたくさんあったので、少し昼寝をする。
がっ!この昼寝が悪かった。
夕方、目が覚めたら、ほんの少し頭が痛い。
高所に着いたら、すぐに休んで横になるよりも、少し動いていた方が良いようだ。
夕飯はサーディン(イワシ)入のパスタ。
高所では沸点が低くなるため、米やパスタを作るのが難しい。
その点は、やはり長年ガイドをやってるだけあって、普段と同じの固さで茹でている。
夕飯を食べ終えて、再び紅茶を飲みながらゆっくりする。
さすがに太陽が落ちると一気に冷え込ので、フリース、ジャケットを着込む。
明日は深夜2時30分に起床、3時に出発する予定で、他の山と同じスケジュールだ。
もう一組のパーティは、1時30分の起床、2時の出発のようだ。
どうやら自分のガイドは、先に登頂されるのが嫌なようで、しきりに早く出発しようと言う。
競争しているんじゃないから、なんでそんなに先を急ぐ??
他のパーティが出発の準備をしているようで、騒がしい音で目が覚めた。
時計を見ると、1時20分を差している。
意外に眠れたようで、そんなに寒くはなかった。
何故か自分のガイドも起き始めて、お湯を沸かしている。
ガイドが「出発しよう、先に登頂される」と言い出す。
しかし、「そんなに急いでも仕方が無い」と言って、眠りについた。
そして、2時30分になったので起きて、出発の準備をする。
ガイドはそれまで外にいたようだ。
さすがに登山も、4回目となると準備は早い。
3時に出発。
それほどは寒くもなく、気温は3度。
空は、いつもの事ながら満天の星空で、空気がピンと張り詰めて気持ちが良い。
ガレ場を歩く事、15分ぐらいで氷河の取り付け点に到着。
アイゼン、ハーネスを取り付けて、ガイドと10mのアンザイレンで結ばれる。
この点も全て同じだ。
バユナラフの西面は幅が広く、傾斜が緩いので、スキーで滑降する事も出来る。
現にスキーらしき跡が残っている。
この跡を見ていたら、スキーをやりたくなってしまった。
しかし、ここは標高5,000m以上の高所。
あちこちにクレパスがパックリと口を開けている。
ルート・ファインディングが出来ないと超危険で、ゲレンデ・スキーとは大違いだ。
幾つかのクレパスを越える。
傾斜は緩いので、いいペースで進む。
アイゼンが雪にキュッキュッと食い込み、この音が気持ち良い。
ルートの先を見えると、バユナラフの山頂が暗がりの中に見える。
どうやら、目の前に聳えているのは山頂ではなく、更にその奥にあるのが山頂だという。
バユナラフは南峰と北峰の双耳峰で、北峰が高い。
途中休憩すると、流石に冷える。
チョコとビスケットを食べる。
喉も渇くので、水を飲んでみるとキンキンに冷えている。
気温は氷点下3度で、寒くて10分も休んでいられない。
歩いていた方が暖かくていい。
すぐに出発。
バユナラフの西面は、本当にクレパスが多い。
右に左にクネクネと歩く。
途中、雪崩の個所もあって、そこは早く歩いて無事に通過した。
山頂を眺めると、2つの光が動いているのが見え、どうやら一組のパーティのようだ。
かなり標高差があるように感じられる。
しかし「歩き続ければ、何時かは山頂には到着するんだ」と言い聞かせて一歩一歩進む。
時折、突風が吹いて、雪面の雪が舞い上がり、頬にあたって痛い。
出発して約2時間で、北峰と南峰のコル(鞍部)に到着。
どうみても、南峰の方が高く感じるのは気のせいだろうか。
鞍部に出た途端、向こう側がスパッと切れ落ちていた。
下を覗くと、途中で見えたラグナ・ジカが小さく見える。
標高差約1,100mは、高所恐怖症の自分としては、この高度感はやばく、目がクラクラする。
ここから山頂へのルートは、かなり傾斜がきつい。
ちょっとでも足を滑らせれば、奈落の底へまっさかさまだ。
ガイドは「どうする?」と聞いてくる。
正直、ここはやばすぎる、引き返そうかと思った。
しかし、もう一組のパーティも登っているし、ここで引き返したら旅行会社の奴等に笑われるのも癪だ。
行くしかない。
ガイドに先に登ってもらって、確保してもらう。
傾斜があるので、ピッケルとアイゼンを効かせて、一歩一歩慎重に進む。
後ろを振り向いたら駄目なので、常に上を見て登る。
ロープのワン・ピッチが終わり、再びガイドが登る。
自分もピッケルを雪の中に埋めて確保する。
万が一、ガイドが滑落した時のためだ。
そして、再び自分の番。
再び歩き出す。
幾分、傾斜も緩やかになり楽になった。
左側は、完全な雪庇(せっぴ)になっていて、少しでも体重をかけたら危険だ。
どうやら、コルディエラ・ブランカ一帯は、東風が吹いているようだ。
事実、イシンカの雪庇も西側に向かって伸びていた。
ゆっくりと進む。
そして、出発してから約3時間30分、時は6時30分に無事に頂に立った。
頂上では、風がかなり強く吹いていた。
ガイドにデジカメで写真を撮ってもらったが、使い方がわからないようで撮れていなかった。
三脚を使うにも風が強すぎるので、倒れる可能性がある。
しょうがないから周囲の風景を撮る。
山頂からの眺めはよかった。
東にランラパルカの西壁が、北にワスカラン、コパが聳える。
西はコルディエラ・ネグロが連なっていて、南はワントサンが天を突刺すかの如く、聳えている。
とにかく風が強いので、30分もいる事ができなかった。
すぐに下山を開始して、急斜面は再びガイドに確保してもらう。
下りの方が眼下が丸見えなので、恐怖感が倍増すると思ったが、意外に大丈夫で、鞍部(コル)に無事に到着。
ここから一気に下山。
とにかく下りは早かった。
1時間ちょっとで、氷河の取り付け点まで到着してしまった。
バユラナフは本来2泊3日の工程だ。
モレーン・キャンプに到着したのは9時だった。
ガイドと話した結果、ここで少し休んで、一気にベース・キャンプまで下ろうという事になった。
テントを撤収して、ベース・キャンプまで約1時間。
足腰は流石に疲れていたが、これまた心地良い疲れだった。
無事にウルス、イシンカ、ピスコ、バユナラフの4つの頂を掌中に収める事ができた。
去年、A型肝炎でぶっ倒れて、歩く事すらままならなかった。
この一年間、常にこのコルディエラ・ブランカの事を考えていた。
本当にいけるのか?いや、いけるはずだ、いや、必ず行く、そう自分に言い聞かせてきた。
白き街ワラス。
良い事も悪い事もあった。
今となっては、これもすべて良い思い出だ。
もうワラスで遣り残した事はなく、これで100%、自転車の旅に集中する事ができる。
さて、心を入れ替えて、新たな旅の始まりだ。
【2005年07月 旅日記】